orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

社会を這い上がるための考え方

 

私は貧乏家庭の育ちで、しかも田舎からのお上りさんなので、今の生活を考えるとベクトルは下から上、右肩上がりなのは否定しようがない。大学入学と同時に上京してきた私の銀行口座には数万円もなかったので、そこから考えるとよくがんばった。

今の時代、右肩上がりという概念自体に無理さが現れていて、身分固定というか、貧乏な者は最後まで貧乏、持っている人はいつまでも持っている、というような無力感が日々を覆っている。ある程度成功しようものなら税率を引き上げられ、国に税金として随分持っていかれるような制度になっているので、今すでに持っている人には生きやすい世界だなとは率直に思う。一方で、持っていない人で稼いでいない人からは、ほとんど取らないので、身分固定の発想はそういうところから来ているのだろう。

 

世の中を見ていると、右肩上がりを目指すために人々はいくつかの行動パターンを取っているように見える。

①自分の能力を純粋に上げて、チャンスをつかもうとする行動
②人があまりやっていないことを見つけて、その分野のトップを目指す行動
③流行を探して、その流行に参加することで上昇しようとする行動
④ルールが想定していない例外を利用して、得をしようとする行動
⑤ルールそのものを攻撃し、不平不満を撒き散らし、ルールを変えて得をしようとする行動

これらは排他的ではなく、組み合わせが成り立つ。

基本的な考え方として、持っている人は、自分が将来も持ち続けるために有利になることをルール化する。あたかもそれが、全体益であるかのように。それは誰しも感じていることだろう。今の枠組みがずっと続く限り、持っている人は(無茶さえしない限りは)今の身分が守られるのだから。

ネットでよく見られるのは、残念ながら⑤である。革命でも目指しているのかわからないが、この行動は総じて生産性が低い。ルールを論じている間に何でもいいから努力して上昇の芽を探した方がいい。人生の時間は有限である。ゲームのルールをつついている間にもゲームは進行し、他者は歩を進めている。他責的であるこの姿勢で得をするとしたら、他責的な勢力でマネタイズしている一部の風変わりなお金持ちだけじゃないかと思っている。私個人としては、この行動に巻き込まれてはいけないといつも自分をいましめている。

一方で、④のやり方をあたかも「あなただけに教える得をする方法」として、売り出す勢力がいるのは知っている。これは実は、ある。存在する。どんなルールにも穴があり、ルールを熟知すればするほど穴は明確になる。だが、基本、それを知り得た人は誰にも教えない。穴があることが全体知になった段階で、穴は塞がれるからだ。知り得た人物はできるだけひっそりとしている。むしろ、知らないふりをする。もしくは、知り得たことを「別のこと」に偽装して、それを人に売りつける。自身は成功していて皆信じるからだ。そして、当たり前のように結果は出ないが「君の努力が足りないからだ」と言うだけだ。そして、全く関係なく成功する人に「自分のおかげだ」と吹聴する。

 

社会で這い上がる方法は、決して1つではない。したがって人々は迷う。純粋に才能があり、努力をして、運に恵まれ這い上がった人の話など、きっとほとんどの人が役に立たないと思っているだろう。そんな道があるのならすでに選んでいると。

したがって、④や⑤のような、トリッキーな道に大量の人が追い込まれていくんだなということは想像できる。

人が一日にできることはそんなに多くない。その中で何を行い、そして1年、3年と積み重ねて何を導いていくか。そう考えると、戦略というのはすごく大事だ。間違った戦略のもとに間違った努力を重ねて、結果がでることはまずない。

大事なのは、自分がどういう方向で這い上がろうとしているかを明確にすること。①は基本として、じゃあ②と③のどちらの方が自分は向いているのか。普段の生活で④を偶然見つけたら、自分で開拓してみてもいい。

どんな戦略を取るにしろ、小さな失敗を積み重ねて、大きな成功をしていくことが、最も確実な方法だと私は思う。人生は長い。