orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

情報量、選択、バイアスの関係性

f:id:orangeitems:20210307173557j:plain

 

基本的には、情報を集めて集めて分析して、正しい選択肢を選べばほとんどの勝負には勝てると思う。肉体的な性能ばかりが注目されるけれど、結局は脳が何を判断したかのほうがよっぽど重要なのが勝負の本質だと思う。いや、それでも運動神経とか知能のような先天的なものがないと、と言う意見はあるかもしれないが、それが自分に備わっているかすら情報である。もし自分自身に天賦の才能が宿っているかもしれないが、それが備わっているという情報をどうやって入手するべきか。それで勝負のほとんどは決まっていると思う。今一流と言われる人たちがなぜその分野を始めたのか、については学ぶべき教材である。むしろフィットした分野で才能を開花させたことについては、そりゃあもともと能力が備わっていたからでしょ、という話が多く、一般人にはあまり参考にならないことも多い。スティーブジョブズの本を読んで心ときめかせても、誰でも世界に革命をもたらせるわけでもない。

この情報をできるだけたくさん入手し、正しい選択肢を選ぶという方法について、確実な限界がある。情報量が多すぎるとそれを処理するのに脳がたくさんのコストを必要とすることだ。結論を出すための時間は限られているのに、情報が多すぎるため何が正しいのかわからない。これは面白い示唆で、情報がゼロの時は明らかに「あてずっぽ」になり物事はもはや偶然の産物にしかならない。そこから情報量を増やしていけばいくほど、きっと正解率は上がる。しかし、ある情報量を迎えた瞬間に正解率は横ばいになり、むしろ量をもっと増やしていくと訳が分からなくなり正解率はもはや下がることすらある。

では、情報処理能力を上げて、よりたくさんの情報を処理できるようになれば、その壁を突き破れるのかと言うと、これもまた相対的な話でありいつか限界がある。人によって情報処理能力の違いはあるが、分相応という考え方があり、明らかに情報を入手し過ぎるとむしろ悪影響は、ある。

情報を入手できる水道から出てくる水、情報は多ければ多いほどいいのだけど、どこかで調節し、必要な情報だけを絞らなけばいけない。そして、脳が疲れたら、一時期は蛇口を止めなければいけない。じゃないと、水があふれだし、そもそもの判断ができなくなってしまうのだ。

だから、人はおそらく、ある程度の情報源を確保した後は、情報をフィルタリングしだす。単に情報量を減らすと言ったって、何を減らせばいいのかわからない。だから、都合のいい情報だけを取得しようとする。これは不要だと言いながら、耳にしたくない情報を遠ざけようとする。これがバイアスと呼ばれるものの正体と思う。都合のいい情報だけで身の回りを満たすことと、情報量の多い現代の組み合わせが最悪なのは、こういったバイアスが起こりやすいということだ。

昔は情報はテレビや新聞からしかなかったので、むしろメディア側のほうがバイアスに引っ張られやすく度々報道が偏っていることが取り沙汰されたのだが、今やSNSで個人も情報発信するようになったので、バイアスはメディアではコントロールできなくなった。むしろ社会全体が、共同して情報を増幅させ、偏った結論に行動してしまうことが起こりやすくなっている、と思う。

こういった、人々の、情報に対する対処方法を考えていくと、休みの日ぐらいは情報をほぼゼロにしてもいいんじゃないか、と思うことがある。なぜバイアスが起こるかと言うと、情報量が多すぎて何かを捨てなければいけない現実に晒されているからだ。情報をできるだけ入手することは勝利への王道であることには変わりないので、どうしても休みの日でも情報を追い求めてしまうが、これは全く良くない。頭を休ませよう。情報を制限して平日に備え情報のシャワーを浴びる空間を作ろう。じゃないと途端に頭は楽をするために情報をフィルタリングし出して、それで都合のいい正解を作ろうとし、結果として間違ってしまう。もしくは、平日に情報が処理できなくなり、むしろ情報を処理しなくてもなんとかなるんじゃないか、ぐらいの達観で勝負を放棄してしまうかもしれない。

ま、休みは休もうね、ということだ。