orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

伝わることが大事なんだけど、伝えたいことを曲げてまで伝わりやすくするのか。それとも伝えたいことは変えたら駄目なのか。

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ビジネスの世界でもそうだし、芸術の世界でも言えること。

どんなに素晴らしいものを作っても相手に伝わらなければ何の価値もない。

今どこかで、世界初の何かが誕生したのかもしれないけれど、それを誰にも伝えなければそれは価値を持たず、消え去ってしまう。

誰かに伝えて、了解されたときに価値が生まれる。音楽でも絵でも同じで、聴いただけでも見ただけでも不完全だ。その刺激に対して理解が生まれ、共感することによってはじめて価値となる。

伝わるかどうかを主眼としたとき、2つの戦略が生まれる。

①伝わらなければ、伝わるまで信念を持って続ける

②伝えたい相手に合わせて、プロダクトを変更する

ビジネスの場面では良く②が選ばれ、マーケティングとも呼ばれたりする。売れるものを作るために情報収集し商品やサービス、広報に反映する。一方で芸術の分野では①、つまり自分の感覚を信じて、作品を作り続けるという決断もある。

どちらが正しいとは一言で言えない。

相手に合わせすぎると自分が何を伝えたかったかがおざなりになり、伝わったものの本意ではないという悪循環になる。でも、伝えたいことが伝わらないと、ただただ叫んでいるだけになる。

売れるためにいろんな調査をし、それに合わせて商品づくりをしていく。一見普通のことに見えるが、作り手は自分の意思がある。これがベストだというビジョンがある。これとユーザーのリクエストはよくぶつかる。伝わるためには相手に合わせた方がいいのだが、自分が伝えたいことを曲げてまで、売上を取るのか。いや、それでは信念を曲げるのか。でも売れなければ、プロダクトを生み出すこともできないんじゃないか。

伝わることが大事なんだけど、伝えたいことを曲げてまで伝わりやすくするのか。それとも伝えたいことは変えたら駄目なのか。

 

これまでの人生を俯瞰して見ると、十代、二十代の頃は、伝えたいことがあったとしても人生経験が浅く、その後もっと山や谷があるから、むしろ伝えることそのものより、伝える技術を磨いた方が良いんじゃないかと思う。つまり、伝えたいことに固執するより、とにかく誰かに伝わるために、何をしたらいいか。何が伝わりやすいか、のようなことに関心を持った方が良いと思う。

私は四十代なのでその先はまだわからないが、ここまで来ると確信のようなものが生まれる。これは正しい、これを社会に伝えたい。もしそんな信念のようなものが見えてきたら、きっとそれは曲げてはいけない。人生を推進する原動力になり得る。そんな大事なビジョンが見えたら、それまでに磨いた、伝える力を存分に使えばいい。

人によってはそれは、もっと早い時期。伝えたいことが生まれるのが十代や二十代ということもある。それならそれでその時に持っている能力で勝負したらいい。曲げないでぶつかっていけばいい。でもほとんどが失敗に終わる。十代二十代で、それだけ伝える能力が備わっていたらそれは天才だ。天才が活躍するのは厭わないが、天才だけに、世の中に何人もいない。でも失敗したとしても無駄にはならない。失敗から学べることもある。

 

すべては他人に伝わるかどうか、ということは真実なんだけど。伝える中身が大事なのか、伝わることが大事なのか。

伝える中身で勝負するとわかるけど、とても不安になる。これ、ダメなんじゃないか、って。そこで固執し過ぎて、一回も誰にも伝われず、負けたまま終わる人もいる。一方で、伝わるために自分を曲げすぎて、自分、何やってるんだろうと絶望する人もいる。

結局はバランスなんだと思う。自分がまだ伝える能力がない、と思うならもっと勉強して、自分の能力の範囲で伝わることに集中。そして伝える能力を磨く。

どこかで、勝負するんだ。伝える技術を学んでいけば、いつか勝ち負けになる日が来る。そう信じて日々を過ごすことが、いずれ勝てるプランだと思う。50代、60代で勝負する人もいるくらいだから。