orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ありのまま考

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ありのまま

ありのまま、というのは結構私の中で主題だったので、私も考えてみたいと思います。下記の記事を踏まえています。

 

bunshun.jp

 

考察

私の中でありのままという言葉が課題となったのが今から30年位前。高校生のときでした。自分自身のキャラクターというか、個性のようなものについて劣等感があり、クラスの人気者とは程遠いと思っていて、何か演技のようなことをすればもっと、周りの人々に受け入れられるのではないかと思っていた時期がありました。

まあ、今考えると、かなり無理のある思考なのですが、まぁ自分をさらけ出してしまうと嫌われるだろう。だから人気の出る発言や行動が自分の位置を高めてくれるだろうくらい考えていました。

しかし、自分自身を偽って行動しても、長続きはしません。それに伴って人間関係も長続きしない。はじめはいいのですがどんどんボロが出て行ってしまう。

精神的にも不安定な状況にもなって、どうしたことかと思って本屋で人間関係系の書物を読み漁っていたところ、森田療法という本に出会いました。アマゾンでも入門書がたくさん出ています(リンクはこちら)。

森田療法は精神医学の範疇にありながら独特な理論を持っていて、「あるがまま」が基本的な考え方となっています。不安な心はあるがままにしながら、ドキドキしつつ本来やりたかったことをやっていく。そうすることで自信がついていく。

この「あるがまま」に出会ったことにより、演技して自分をよく見せる、ということから始まる悪循環はいったん切れ、とりあえず「あるがままあるがまま」と思って社会に入っていこうとします。めでたしめでたし、とならないところが人生の深淵なところです。

本記事は「ありのまま」なので言葉は戻しますが、ありのままで行動すると、自分自身に自信がないのでドキドキです。ありのままであれば楽になれるかと思ったらとんでもない。ありのままの自分が未熟なこともあり、失敗は続きます。失敗すると葛藤します。やはり演技をしてでも周りに合わせたほうがいいのか。それともありのままを突き通した方がいいのか。

1990年代の半ばで、ミスチルが「あるがままの心で生きられぬ弱さを~」なんて歌い始める始末で、やっぱりありのままに行き「られない」自分って弱いのかなと思う。そんなふらふらした感じで、去年あたりまで決着がついてない感じでした。

だから、ありのまま・あるがまま、というのは私の主題なのです。

 

実際、ちゃんと吹っ切れられたのは去年の秋くらいからです。

ありのままの自分と取り繕う自分を揺れ動くことがバカらしくなってしまって。

特に取り繕う自分については、もともとそれが苦手だったので、ありのまま、と思ってやってきつつもどうにもどこかで、取り繕うことに対する未練のようなものがあった。

だから、ああしなきゃ・こうしなきゃ、が自分の中で増えていったのですが、それも実は自分の心の中のありのままだったんですね。

もう、そういう中途半端なありのままじゃなくて、もっと自由にやってみようと。

多分人生も、年齢的に折り返し地点に来つつあって、ここからは「ありのまま」「取り繕う」という二極ではなく、何でもありで自由にやってみよう、いやそうしないと、二極でがんじがらめになったまま時間切れになって死んでいくのではないか・・。

ある日心の中で「パンク」のようなことが起きて、ああもうこんなので暮らしていくのはバカらしい。あの日からは自由に生きた、と言えるようにしよう、と思って最近本当に楽になっています。

ありのままでも取り繕ってもいいから、自分の自由にやろう。やってみたらできたのです。できるのならやり続けるだけ、です。

 

本当の自分が成長すること

ありのままであるか、そうでないか、という抽象的な話から離れて、「自分が思うようにできているか」を中心に考えるようになったという話です。しかも、最近の話ですが、これは逡巡した結果たどり着いた私なりの結論です。万人に当てはまるとは思いませんが私には当てはまります。

自由にやったら失敗することはあるのですが、後悔はありません。しかもPDCAをぐるぐる回して、二度と失敗しないようにします。これが成長なんでしょう。それがありのままか取り繕ってるかは興味がありません。大事なのは、自分が思うようにできているか。自由か。自分をしばるルールを自分の中で設けていないか。

ありのままであればいい、という言葉はかなり定義があいまいだと思います。本能に対してありのままなのか。理性に対してありのままなのか。本能と理性がぶつかったらどうすればいいのか。

それを乗り越えられたのは、あまりの苦しさに自由を渇望したら、楽になれたからです。自由であった行動は自分に対して納得感があるのです。理性と本能を調整するのも自分自身です。

 

ちょっと抽象的な話ですが、文章にできそうなのでトライしました。誰かのお役に立てれば幸いです。