orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

とあるインフラエンジニアにおける、ある街での夏の思い出

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入社1年目の夏の思い出

二十年くらい前の話です。

新卒1年目なのに、一人っきりでなぜかお客様先のビルに3日間ほど常駐してお客様の環境をお借りしてテストをすることになりました。当時はモバイル通信もなかったので、ノートパソコンのハードディスクに入れてプログラムを持っていきました。ノートパソコンとお客様環境の機器とはシリアルケーブルでつないでた気がします。

シリアルケーブルは昔はUSB並みにメジャーな配線だったし、モデムをつなぐときは必ずこれでした。そんな端子はもう無くなりましたがこれを使って自社が作成したプログラムをデバッグをするというのが私のミッションでした。

で、この駅はめちゃくちゃ都心から遠い場所にあって、家から3時間かかりました。朝は10時でいいよと言われたのですがどうせ家を7時に出ないといけないので全くもって甘くありません。往復で6時間。しかも電車がなかなか来ない。

で、新卒一年目をよくもまあそんな遠くに三日間も一人で行かせるなあと思いつつ、お客様に一声挨拶して、空いている席でデバッグ開始です。ああ、そういえば、入館証も初めのうちはもらえずトイレに行くときや昼休みもエスコートしてもらった気がする。

そして、プログラムは動きません。

で、会社に電話します。動かないんですけど。

電話の結果、こことここを修正しろと言われ、自分でこちょこちょと修正します。でも動きません。

Windows 3.1が固まっちゃいます。当時はプログラムが固まるとOSまで固まっちゃうような疑似マルチタスクだったので、ハングアップの絶望感は半端なかったです。

で、どうもワンステップずつ動かしていくと、お客様からもらったライブラリーで固まっている模様でした。ということは、わが社のソースコードを触ってもどうしようもない。

もう一度会社に電話しました。そうしたらとりあえずわかったから待機しろと。

そして待機してた気がします。人の会社で。いつ連絡がくるかわからないまま・・数時間。

あんまり電話が来ないのでこっちから電話したら、とりあえずそのライブラリーを使う行をコメントアウトして先に進めろうんぬんかんぬん。

そんなことを繰り返して・・3日の約束だったのにどんどん日が経っていました。

一度会社に帰って、修正済みのライブラリーをもらって、再デバッグしたらうまくいったりして、そんなこんなで結局は5週間くらい滞在した記憶です。

とにかく電話しか頼るものはなく、電話先も冷たかったな。

あれ、会社って、自社のオフィスでチームで働くんじゃなかったんだっけ。そんな誤解(笑)が溶けた一件でした。また、案外一人で過酷な環境に置かれても平気なんだなって思ったのは発見でした。しかもこの時期新人の8月ごろだったので、入社してまだ4か月くらいしか経ってなかった。普通じゃないな。

これが1年目の夏の思い出です。

 

入社10年目の夏の思い出

次は今から10年前くらいの話です。

大企業のベンダーの下請けの仕事で、ある大学の物理サーバーを5台ほどセットアップするということになりました。

で、なんと1年目に5週間滞在した街が再びセットアップ場所でした。

何か決まりが厳しくて、セットアップするにもその大企業のビルの一室じゃないといけないという話でした。で、そこでインターネットがつながるかっていうと、モバイル通信も禁止だし、会社の外に出て使うにしてもPHSしかなかったので実質スタンドアローンでセットアップしなければいけない。人の会社だから本もない。

すごく大急ぎの仕事・・っていって木曜日に現地入りしたのですがどうも翌週月曜日には大学に運び入れないといけない。ところが木曜日の午後にサーバーが現地に到着。で、段ボールをメンバーみんなで開けて見ると部品が足りない!。ベンダーに連絡したりで木曜日はとりあえずサーバーを床に並べて組み立てるだけで終わりました。

金曜日にセットアップを開始するも部品が届いたのが午後3時過ぎでそのうえ、苦戦。うまくいかない。で、その時の私はその部署に入って間もなくだったので、「先輩、そっちで見ててください、大丈夫です」ってなもんで何もすることがない。後輩がセットアップに苦戦するのを見ながら、ため息をついて、僻地に閉じ込められていました。結局金曜日は終わらず夜の20時には現地を出ないと帰れなかったので、止む無く帰りましたが、3時間の帰路どころか5時間弱、家についたのは午前0時を廻っていた記憶です。

さて、その急ぎの仕事。次の土曜日に結局みんな出社。私の仕事全くないのに現地に行かなきゃいけない。そして台風!。体ごと吹っ飛ばされそうな大風が吹く中なんとかビルには着いたけど、電車はもう昼前には止まっていました。でもビルの中で延々と後輩のセットアップをずっと待っていました。で、何とか終わったんだっけな。お願いだ終わってくれ日曜日まで飛びたくない。

この件、技術的な資料も何にもなかったので、会社に待ってた技術者に必死で誰かが電話してたのを思い出します。インターネットで調べられなかったから電話。

なんとか土曜日中には終わりましたが電車が止まっていたのでバスで迂回して6時間くらいかけて帰った記憶です。

ひどい仕事・・。月曜日には無事とある大学に納品しました。

 

今は夢のような環境

当時の仕事も、今の通信環境やモバイル機器があれば、もっとうまくやれただろうなと思います。インターネットの情報も豊かだし。今のモダンなセットアップ部隊がどういう動きをしているかはわかりませんが、Ansibleなど使ってさぞ生産性高くやっているのかな・・。当時はOSを入れるのもせいいっぱいで、そこから数十個のベンダーのドライバーを入れて、やっとセットアップ完了でした。

今や、ちょっとしたことで不満を持って会社を辞める人もいると思うのですが、私が駆け抜けた時間は会社に振り落とされないことで必死だったような気がします。とにかく決まりはあってないようなもので、営業が決めて来た条件の奴隷のような仕事をしていました。リーダー格が何十連勤とかした挙句、会社辞めるみたいな話もよくありましたね。

ハードウェアもソフトウェアもネットワークも、そしてクラウド環境も含めて様々進化の上で今があり、夢のような環境だなあ、OSもミドルウェアもスルっと入るし。モバイル環境は一日電源持つし。軽いし。

働き方改革で残業や休日出勤も規制され。

いい業界になったなあとしみじみ思います。

 

以上、ある街での古い夏の思い出二件でした。

本当、この街との相性は最悪です。

仕事で入らないように気を付けて仕事しています。

たまに行くことがあるのですが、いつもこの2つの思い出が浮かびます。

 

とりあえず記憶の中に留めておくといつか忘れてしまうので、まとめておきました。

参考まで。