orangeitems’s diary

クラウドで働くエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

嵐から自由を奪ったのは誰か

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自由とは何か

嵐の活動休止については既報の通りですが、大野さんの発言の中にある「自由な生活を」という言葉が私の心に引っ掛かりました。

 

headlines.yahoo.co.jp

「勝手ではありますが、一度何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい、そう伝えました」と国民的人気グループのメンバーとしての活動から離れたかったとの趣旨を述べた。

 

嵐を止めてまで手に入れる自由とは何なのでしょうか。

 

自由を奪ったのは誰か

一般人である私自身は何事にも縛られていないか。いや、縛られていると思います。家族、会社、近所、いろいろな存在に対して依存されたり依存したりしています。それらがソーシャルを形作っていますし、ITの力でこれを見える化したものがSNSです。Mixiのときに「ともだち」と定義され非常に困惑しましたが、Facebookもそれを踏襲してきて、Twittterは少し距離を置いた「フォロー」という形を取りました。私自身はあまり周りの人たちとリンクは強くないので、SNSなんて廃れるよって思ったこともありましたが、全く違いました。もはや企業もSNSとそれに参加する個の存在を無視できなくなりました。今ではビジネスはSNSでよりバズるためには何をすればいいか必死に考えている状況になっています。

嵐という存在は、恐らく日本人に対して、大きくリンクしています。私はファンじゃないよ、という人だって5人全員の名前や個性を知っているし、生活の中で一年を通してみてもかならず演者として活躍しています。

一般人の私すら、「縛られている」ことを感じられるぐらいなので、それが一億二千万人と言われる日本の国民からフォローされているとすると、たまらなくガチガチな縛りがあるはずです。彼はこういう性格だ、こういう発言をするはず。彼らは仲良しであるべきだ、常に一生懸命である。そんなリンクをSNSが見える化し、しかも増幅してしまったために本人たちが精神的に限界を迎える。そんな現象が、昨今たくさん起きていませんでしょうか。

テレビやマスメディアの圧力以上に、ソーシャルメディアの力は大きく、さらに中央集権型ではなく分散型であるため誰にもコントロールできません。顔を出して、人々が望む抽象的な存在、つまりアイドル(偶像)を長期間演じることに対して、一人の人間が耐えられうる閾値を超えているのではないかと思うのです。特に、ジャニーズやAKBグループなど、期待に応えることを365日望まれている立場の方たちは非常に辛い思いをすることが多いのではないか、そう思います。

SNSによって、精神的な自由が奪われてしまったのでは、と思うのです。

 

 

心にファイアウォールを

私のこのブログすら時には見たくない反応を目にすることすらあるので、あまり反応を見ないよう努力しています。自分の評価について自分が処理できる能力以上の量、もしくは強さが、自分の心に入ると、心の健康を壊してしまうのが人間です。周りの情報をシャットアウトするとそれはそれで周りが真っ暗になってしまうため、情報は適切なルートに絞るべきです。SNSの情報過多時代には、心にファイアウォールを設けて、心を守っていかないといけません。セキュリティーです。

特に芸能人の方は、SNSでたくさんの評価が乱れ飛びます。これを使って人気上昇、ではなく、マネジメントの方はぜひ、その情報のコントロールとともに、芸能人の方を守って頂きたく思います。ここ最近、気を病む方が非常に増えている印象です。これは職業病と言ってもいいと思います。どのように芸能人がデジタルメディアに対して接すれば心の健康を保っていけるかどうかについて、学術的にも研究が進むことを願います。