orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

絡むべきではない人たちを絡ませてしまったSNSの罪

 

年末年始でネットをよく見ていて分かったんだけど、SNSを通じていろんな言い争いが絶えない。ずうっとこっちが悪いあっちが悪いと言っている。そしてそれをエンターテイメントとして見ている人たちがいるように見える。

SNSという場さえなければ、きっと大きな社会の中で見えない同士だったのに、と思う。または、係争があったとしても、ここまで拡散することはなかったはずだ。

SNSで、声が大きい人の声は、関係のない人々まで届く。声が小さい人の声も、声が大きい人に取り上げられると同じく届く。そうやって、お互い知らない人同士の声が聞こえ合ってしまう。

その中で、許せない、という感情が芽生えた時に、その発信元にアクセスできてしまう。社会は、相いれない同士で妥協しながら生きているのが実情である。リアルにおいては、たくさんの人が、自分とは相いれない人と関わり合いにならないように気を付けて生きているのではないか。ところが、SNSではその警戒心の壁が壊れやすいようになっている。

わざわざ、SNSで相いれない情報を探しては、問題だ問題だと騒ぐのが趣味の人だっているくらいだ。

この良くない状況は、個人レベルだけかと思いきや、おそらく国家レベルで悪影響が起こっているのではないかと思っている。

国が違う同士で、自国に対する悪意のようなものが露わになりがちである。敵意に対して準備することが正当なロジックなら、SNSによって他国の気持ちがわかってしまうというのは考え物だ。

そうか、あの国はとても我が国に失礼千万な認識を持っている。このまま放っておいたら我が国の脅威になるのは間違いない(ここで飛躍が起きる)。だから、準備をし、場合によっては行動を起こさなければいけない、と。

人の心の中というのは本来は守秘なはずなのに、見えるようにしてしまったのが大きな間違いなんじゃないかと思う。

ただただ個人的な人の感想を述べるのは自由じゃないか。それはそうなのだが、誰かにとっての自由は、誰かにとっての不自由ともなる。お互いに自制し合うから平和を保てるのに、ある日自由**気まま**に活動・発言・行動しはじめたら、迷惑被る人も出てくるということである。

もともと、SNSの売りとしては、同じ趣味や価値観を持ち会う人が集まることだったはずだ。なのに、今や大衆心理を表す鏡となり、そして、嫌悪や不安などを煽り、そこで争う様に観客が集う。そして他国は自国への攻撃性を知るエビデンスとして扱い、世界全体が不安定化したと見るのが自然だと思う。

昨今のSNS上での係争を見ると、ブロックやミュートをすると、かえって「議論から逃げた敗北側」のような扱いを世論を受けたような言及も多い。これはもう、戦いを望む大衆からリングに強制的に上げられているようにも見え、危険な状態だなとも思う。

今や、インフルエンサーを装っていた操作の仕組み(BOTやフォロワーの購入)も露わになり、SNSの副作用が極まっている。平和を望む私としては、SNS自体が、実際のところ無くなって欲しいぐらいである。少なくとも今のままでは。