ネットを消したい

 

昨今の世間の関心は、もっぱら「政治と宗教の関係」にある。けっこうこのブログは世間の関心に合わせて書くのだが、私の関心と一致しないときは、書くこともなくなる。本当に人々は関心を寄せているのかわからず、私はそっと、テレビを消すのみである。

世間の関心については、次の大ニュースが発生するまで継続することが多い。このニュースの直前は、auの通信障害があったのだが、結構簡単に切り替わるものである。多分もう皆、そんなことがあったこと自体を忘れている。そういう意味ではメディアは、テレビ、ネット関わらず、1つだけを追いかける傾向にあると思う。

最近は、国民が何に関心を持っているかどうかを、ネットに委ねるようになった。ニュース番組は、バズったキーワードランキングを、SNS企業から購入して利用している。一見、マスメディアがこれまで独占的に決めていた「世間の関心」を、国民側が民主的に決めているかのように見える。ところが、どうもこの図式が謎めいていて、SNS側にもマスメディアや広告代理店が相当に関与しているように見える。SNSというツールを使って、説得力のあるような「世間の関心」を作り出しているように見える。

ネットがテレビにしみ出したように見えて、テレビがネットにしみ出したのが現実なんじゃないかと思う。テレビがつまらないのでネット、と言っていたのに、ネット自体がテレビみたいになるというね。

テレビを消そう、なんてムーブメントは19世紀にもあったんだけど、むしろネットを消そうみたいな話まで、来ているのかもしれない。

そんな気分になったら、生活スタイルを見直してみるのもいいのかもね。普段やらないことに挑戦してみる。見逃していることがないか、周りを見渡してみる。過去やっていて止めたことをもう一度試す。ゆるく勉強してみる。などなど。ネットから離れて。

 

まあ、考えてみれば情報発信っていうのは、コンプライアンスに縛られる必要がある。そうじゃないと、危険な情報、ウソの情報も発信されて、惑わされた人々が被害者となる恐れがある。ネットは当初、ほんと何でもありだった。だからこそ宝物のような情報と、爆弾のような危険物が混在し、そこで宝探しをすることが一つの娯楽だった記憶がある。しかし、例のごとくたくさんのことが起きたので、行政が交通整理をして今の形になっている。それは正しい流れだと思う。だが、もう当初のネットではない。大きな資本が相変わらず勝つ、普通のメディアになった。

そこで、いや、ネットは自由だし、自分が見えていないだけだといろんな情報源を探してみるも、おそらくきっと、コンプライアンスの網がいたるところにかけられている。

きっと、テレビでもなくネットでもないところに、楽しみがあるんだと思ったとき、今注目されているのが、コミュニティーだろうと考えている。国やメディアが到達できないユニークなソーシャルに、ユニークな情報があり、そこはおそらく刺激的な何かが潜んでいる。昨今、トレンドに敏感な人々を中心に、コミュニティーを形成し、新しい活動をする現象をよく見ている。なんとなくその世界観は、ネットの最後の砦だと思う。クローズドな情報網。世間の関心とは切り離された、それ。

テレビは消せるけど、ネットは消すってのは難しいのが、なんだか今のメディア論の肝な気がしている。私たちは、ネットの消し方を知る必要があるのかもしれない。