orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ニチコンが破産とはビックリ その歴史を留めておく

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コンタクトレンズ大手のニチコンが破産

私は高校から大学にかけてコンタクトレンズだったのですが、当時はハードコンタクトレンズが優勢でした。当時は酸素を通しやすいとか目に優しいとか長く使えるとか言われてハードにしたものですが。今や使い捨てや、1週間、1ヶ月などの期間限定ものが主流で、ソフトコンタクトレンズ全盛のようですね。

で、ニチコン破産のニュース。

倒産速報 | 株式会社 帝国データバンク[TDB]

既報、2016年11月に名古屋地裁へ民事再生法の適用を申請、2018年3月に再生計画の認可を受けていた(株)日本コンタクトレンズ(資本金3億6820万円、愛知県名古屋市中川区好本町3-10、代表水谷純氏)と、子会社の(株)日本コンタクトレンズ研究所(資本金4840万円、東京都中央区日本橋箱崎町1-7、同代表)は、5月1日に名古屋地裁に民事再生手続きの廃止を申請した。
今後、破産手続きに移行する見込み。

ニチコンって、私の古い頭の中ではコンタクトレンズの世界ではかなり有名だった記憶です。ニチコンはハードコンタクトレンズでかなりの売上を持っていた会社だったようです。

おそらく数日でホームページが閉鎖されてしまうと思いますので、情報を留めておきたいと思います。

 

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http://www.nipponcl.co.jp

 

会社概要

企業メッセージ

新しいアイデアの創出、技術の革新に努め、お客様に愛される製品とサービスを提供し、会社の繁栄とともに、健全な医療社会の発展に貢献していく。

企業理念

人の目は千差万別。視力や角膜の状態はひとりひとり異なるため、コンタクトレンズもそれぞれの目にあったものが必要です。
また、お使いになる方も眼科専門医の検査を受け、ご自身のライフスタイルにあったコンタクトレンズを選ぶことが大切です。
コンタクトレンズは「見る」ことをお手伝いする医療機器です。
正しく使用することで、きっと素敵な「見る」に出会えることでしょう。
ニチコンのコンタクトレンズには新しいビジョンがいっぱい詰まっています。
ひとりひとりの「見る」のために。
“Dear my vision”
それが、ニチコンの思いです。

会社概要

【社名】 株式会社 日本コンタクトレンズ
【設立】 昭和39年5月(1964年)
【資本金】 3億4,320万円(平成18年2月期実績)
【売上高】 30億円(平成21年2月期実績)
【従業員数】 112名(平成21年2月現在)
【代表者】 代表取締役社長 水谷 純
【事業内容】 コンタクトレンズおよびコンタクトレンズ用ケア用品の製造・販売
【所在地】
■本社
〒454-0825 名古屋市中川区好本町3-10
TEL:052-363-2750(代)

■支店
福岡支店

■工場
宮崎第二工場
【ネットワーク】

 

沿革

1949年 医学博士 水谷豊がコンタクトレンズの開発に着手し、1951年に日本で初めて臨床的に成功を収め、コンタクトレンズクリニック(名古屋)を開設。

1958年 合名会社日本コンタクトレンズ研究所(名古屋)設立。
M.K.マイクロレンズ(ハードレンズ)発売。
ハードレンズ(カラー)発売。

1960年 (株)日本コンタクトレンズ研究所(東京)設立。

1964年 日本コンタクトレンズ製造株式会社設立。
(株)日本コンタクトレンズ研究所(大阪)設立。
(株)日本コンタクトレンズ研究所(福岡)設立。

1966年 (株)日本コンタクトレンズ研究所(広島)設立。

1968年 (株)日本コンタクトレンズ研究所(高松)設立。

1970年 (株)日本コンタクトレンズ静岡商事設立。
宮崎工場竣工。
万国博、タイムカプセルに当社コンタクトレンズ収納。

1971年 (株)日本コンタクトレンズ研究所(名古屋)設立。

1973年 新製品ニチコンソフト38発売。

1978年 新製品シリコーンエラストマーコンタクトレンズ発売。

1984年 新製品オーツーフレッシュ(酸素透過性ハードレンズ)発売。

1985年 社名変更
【旧社名】日本コンタクトレンズ製造株式会社を
【新社名】株式会社日本コンタクトレンズに変更。

1987年 本社社屋完成。

1988年 商品管理センター完成。

1991年 新製品オーツーフレッシュII(高酸素透過性ハードレンズ)発売。
新製品ツインケア(ハードレンズ用酵素入り保存液)発売。
宮崎第二工場竣工。

1994年 新製品ニチコンソフトα(カラーソフトレンズ)発売。

1995年 ボシュロム社と一部業務提携。
メダリスト(定期的交換ソフトレンズ)発売。
新製品ニチコンO2クリーナー(ハードレンズ用超微粒子入り洗浄液)発売。

1996年 関西本部開設。

1997年 新製品ニチコンRZX(高酸素透過性・連続装用可能ハードレンズ)発売。
新製品ニチコンソフィット(ソフトレンズ)発売。

1998年 洗眼薬発売により、医薬品分野へ参入。
新製品スーパーツインケア-L(ハードレンズ用つけおき酵素洗浄液)発売。
新製品ソフトプロ-L(ソフトレンズ用つけおき酵素洗浄液)発売。

1999年 創業50周年
新製品リプラ、ソフトナウ(新発想ソフトレンズ)発売。
新製品ローズK(ハードレンズ)発売。

2000年 (株)日本コンタクトレンズ と (株)日本コンタクトレンズ研究所(広島)(高松)(福岡)の合併。
関西本部を大阪支店に名称変更。
新製品ニチコンEX-UV(高酸素透過性ハードレンズ)発売。
新製品プラスビュー(遠近両用ハードレンズ)発売。
新製品トータルワン(ハードレンズ用1液タイプ酵素洗浄保存液)発売。

2001年 新製品ニチコンEX-UVトーリック(乱視用ハードレンズ)発売 。
プロフェッショナルクリーナー(医家向)発売。

2002年 ジャストサービス(ケア用品通信販売)の開始。

2004年 福岡受注センター開設。
大阪受注センター開設。

2005年 東京受注センター開設。
札幌受注センター開設。
新製品ニチコン ソフトRP(1ヵ月交換ソフトレンズ)発売。
新製品ニチコンうるるUV(高品質酸素透過性ハードレンズ)発売。
新製品トータルワンプラス(ハードレンズ用洗浄保存液)発売。

2008年 姫路営業所を大阪支店に統合。
新製品ローズK2シリーズ(ハードレンズ)発売。
新製品プラスビューII(遠近両用ハードレンズ)発売。
商品管理センターを本社に統合。

2009年 ニチコン浜松移転。
金沢営業所移転。
名古屋で「ローズKセミナー」を開催。

2010年 岡山営業所を大阪支店に統合。
盛岡営業所を仙台営業所に統合。
広島営業所を福岡支店に統合。
福岡で「ローズKセミナー」を開催。

 

日本で最初のコンタクトレンズの話

わが国最初のコンタクトレンズ装用者はニチコンから誕生しました。

コンタクトレンズは現在、視力補正用の医療機器として広く定着し、使用者は年々増え続けています。実はこの分野の研究、製造の草分け企業こそ、日本コンタクトレンズ(略称:ニチコン)なのです。
昭和24年(1949年)11月のある肌寒い日、名古屋大学眼科に母親に伴われた1人の高校生がやってきました。診察を担当したのは当時講師で、後にニチコン創業者の一人となる眼科医の水谷 豊(故人)でした。「やっと高校へ入ったが、目がよく見えないので成績が悪く、将来のことを考えると本人も神経質になっています。なんとか治りませんか」と母親は涙ながらに訴えました。患者を見ると角膜が突出してくる「円錐角膜」という眼疾患で視力は右目0.02、左目0.04でした。眼鏡では視力矯正ができないため、処置方法に窮した水谷は眼科全書にあったガラス製コンタクトレンズの報告を思いだし、「それに似たものを自分で作ってみるから、少し待ってくれないか」と話しました。水谷は歯科材料で眼の型を取ることから始めて、自宅の台所で毎夜、高校生を救いたい一心で夢中でコンタクトレンズ作りに勤しんだそうです。

写真:レンズをはめる高校生そして苦心の末、昭和25年(1950年)にコンタクトレンズが完成しました。さっそく治療を約束していた高校生を呼んでコンタクトレンズをはめてみたところ、視力は右目0.9、左目0.4まで回復。「患者の驚きと喜びもさることながら、私もその奇跡にあぜんとし、患者が視力表を暗記しているのではないか、夢ではないかと、そっと頬をつねってみた」と水谷は後に語っています。「さらに改良すれば、世の中の目の悪い人をもっと救うことができる」そう考えた水谷はさらなる研究を進め、1958年には本格的なコンタクトレンズ生産にのりだすため「合名会社 日本コンタクトレンズ研究所」を創業、これが現在の日本コンタクトレンズの前身です。
水谷 豊によって視力を取り戻した高校生の喜びが、私たちニチコンの原点です。ニチコンのコンタクトレンズは、この最初のコンタクトレンズのDNAを綿々と引き継いでいる歴史と技術の結晶です。

補足

ハードコンタクトレンズの成功体験が強烈で、その後の使い捨て・ソフトコンタクトレンズへの大きな変化についていけなかった。やはり、市場は大きく変化したときに俊敏についていかないと、ジリ貧となっていくということを強烈に考えさせれます。

今大丈夫、というのは全く将来を明るくしてくれるわけではなく、常に変化の先に行っていないといくら一度成功しても継続しないということになります。

いろいろな企業に共通する教訓だと思います。