orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

マニュアルのない世界へようこそ

 

システム運用においてきれいな現場を作ろうとすると、必ずルールとマニュアルが現れる。ルールとマニュアルを当初作る時は結構、すがすがしい気持ちで取り組める。何もないところにどんどん統制が生まれていき、これまで何か起こるたびにああだこうだ言っていたことが静まる。こういうときはこうしようね。その連続で基本的には静粛が訪れる。

ほとんどのことはルール化、仕組み化で乗り切れるのは事実だ。そのうちルールとマニュアルに精通している人が全体の管理を行いだす。スケジュールを設定しタスク管理する。それぞれのタスクはルールによって対応方針が決められ、実際の作業はマニュアルでカバーされる。ルール、マニュアル、タスク、スケジュール、それぞれが織りなすハーモニーは運用の現場に平和をもたらす。

しかし、これは非常に盲点やバイアスを生み出す危険な状態である。ルールとマニュアルに精通した人だけそろえた運用部門は、ルールが適用できない状況、マニュアルのない状況に非常に弱い。対応できないときには対応できる人に連絡する。エスカレーションと言う。エスカレーション先があるからこそこういった、ルールやマニュアルに縛られた部門が成立しうる。彼らが「ルールにないことはできません」「マニュアルがないのでできません」と平気で言ってそこで手を止めてしまうのは、エスカレーション先があるからである。

じゃあルールやマニュアルがないのになぜエスカレーション先は対応ができるのか、という命題を強く認識する必要がある。あんなに拝めていたルールやマニュアルがない状況で、あなた、対応してください、と。そんなときに手を動かせるのが「真の技術者である」と言っておきたい。

真の技術者は、想定外の状況で、作業ログを残したり未習熟者に作業の様子を見せる。マニュアルもない中でいろいろ調査して対応方法を見出し、それをマニュアル化する。今後起きたときはこうやって対応してね、と新たなマニュアルができるので、エスカレーションの頻度は減っていく。

こうやってルールやマニュアルは拡充されていきできることは増えていく。あたかもその内容を学習し身につけることを成長、と感じがちになる。有識者が教えてくれた方法を身につけていけば成長できるように錯覚しがちである。

だが、大事なのは、エスカレーションされた時の有識者の対応方法そのものだ。どうやって正解にたどり着くか。当たりをつけるか。そしてルールやマニュアル化できるまでどう言語化するか。それができることそのものが成長である。決して、マニュアルを1つでも多くおぼえることではないのである。

マニュアルを重宝する人が勤勉なのは良きことなのであるが、心配になる。いつかエスカレーションされる立場まで登ることはできるのだろうか、と。何も持たされていないところに立ったときにどれだけ手を動かすことができるのか。そうなるためには、ルールやマニュアルを逸脱しても動くことができる真の技術者を目指す必要がある。

ルールやマニュアルを逸脱しても、危険を侵さないことは、非常に難しいことではあるが誰かがやらなければいけないことでもある。こんな世界があることをぜひ理解し、マニュアルの丸覚えではなく、本質を理解することを常に心がけるようにしてほしいと多くの「真の技術者を目指す人」へ願うのである。