各論
VR・メタバース
見事に大コケしてしまった。私もいくつかデバイスは購入して楽しんでみようとしたけれど。一番の問題は、弱視者が世界に多すぎると言うことだと思う。もっと言えばメガネだ。メガネをしている人がこんなにいるのに、メガネと干渉するデバイスが前提となっている時点で矛盾している。それを放っておいてここまできてしまった。アタッチメントがあればメガネをしてても大丈夫とか、あれはウソだと思う。ツルの部分が痛い。そして、メガネだとVRにおいて焦点も合いにくい。レンズにレンズを重ねるんだから無茶してる。じゃあコンタクト前提?、どれだけお金かかるんだってば。
しかもVRデバイス自体にCPUをつけたら電池が持たない。メタバースにいるために充電を気にしなければいけないというのも大きなハンデとなった。じゃあPC前提とすると、高価なGPUも必要となるし、PCとケーブルが必要になるしで、使い勝手が悪くなる。結果としてPC接続型ではなく、自走型がメインとなったが、電池の問題も解決しないとともに、資源高・円安・インフレで、値上げしてしまった。
VR自体は無くなることはないが、スマホのようにはならず、利用は限定的になると思われる。
コンテナ
Dockerを使ってコンテナをローカルで利用すること自体は、もはや普通のことになっている。が、本番サービスでコンテナを使うことに関しては、限定的な利用に留まっている。もしかしたら、完全普及して今までの設計(モノリシックと呼ばれた)は無くなるのかと思ったら、全然そんなことはなかった。
本番サービスのエンジンとなるべきKubernetesは、知名度は強いが、そのままで利用するには保守性が悪すぎた。したがって、パブリッククラウドやRedHat、VMwareなどが、こぞってマネージドKuberenetesをリリースし、大企業(いわゆるエンタープライズ)が利用する上での基盤を作り上げた。
しかし、どうにもLinux + Apache + MySQL +PHP構成のような、ほぼ無料、みたいなモデルが出てこない。
したがって、普及もほどほどで、そもそもKubernetesを使わなくてもコンテナ使えるよね、みたいな話もあり、混とんとしたまま2023年を迎えてしまった印象である。
本番でコンテナ?、どうしても使いたければ使うけど、みたいな存在になるような気もする。または、普通にコンテナランタイムをサーバーのローカルで動かし、その上だけしかコンテナを使わないというレベルで終わるかもしれない。
AI
AIが世の中を席巻するとは言うが、AIという名前が付いているもので本当にAIなものがどれだけあるのか。人間の能力のうち、ごくごく一部(画像認識・言語発声)だったり、実は統計による解析をAIと呼んでいたりする例も多い。
AIと言えばサービスが売れるだけであり、じゃあAIの実体が何で、人間に何をしてくれるのというところで止まっている例多数。
それって面白いけど、じゃあ産業になりえるの?と言ったときに、それで食べていける人たちをどれだけ作れるのかが疑問。これは、AIを核とした決定的な成果物ができるまではずっと言われ続けると思う。「面白いけどね・・」と。
EV
あんだけ、電気自動車が現行の自動車を脅かすと言っていたのが、電気代の高騰で話が吹っ飛んでしまった。
今から、EVにしたいと言う人がどれくらいいるのか大変不安だ。電気自体のコストが安かったからEVが今まで有望視されていたけれど、これだけ価格が不安定だと、ハイブリッドのままで良くない?となる。
環境のことを考えると・・とは言うが、電気代がこれだけ上がってくると、電気を使わない方に傾き、それがそもそも環境のためになるような気もしている。
ともかく、EVしか勝たん、という意見は見なくなった。
感想
正直、レガシー(過去から生き残っている古い技術)、がすごく強い。
昔ながらの構成で今も生き残っているものは、著しく安定性がある。また、レガシーを知っている技術者は多いので、仮にその技術を知っている人が退職したりいなくなったりしても、代わりの人を探しやすい。
最近のイケてる技術、を使ったことで、3年後5年後に痛い目に遭うパターンというのをたくさん見て来た。それらはレガシーとして生き残らなければいけない宿命があり、ほとんどのパターンで伸び悩むのである。
技術者でも、新しいことがどんどん好きな人もいれば、レガシーしかやらん、と決めている人もいる。まぁ両方やってれば食いっぱぐれないので、どっちがいいかという問題じゃない。ただし、こうやって長い目で見ていると、まともに生き残ることのほうが稀だ。問題点を乗り越えられずしぼんでいく。
しぼんでいく一方で、また新しい技術が出てきて、これからはこれが席巻する、みたいなことをまた業界はおっぱじめる。まあ、それが楽しい業界なのだが、大事なのは踊らされないことである。楽しむのと、食べていくのは、また別のことであるから。