orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

自由に生きよう

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紅白歌合戦を見て考えたこと

年が明けたので一筆書きたくなりました。

紅白歌合戦をはじめから最後まで見ましたが、最後に来てダイバーシティーが中心になり、多様性を受け入れる世の中になろうというメッセージをひしひしと感じました。

紅組が勝つか白組が勝つかという本来の目的は数分の形式的な枠に閉じ込められ、紅や白で色分けするのってどうなんだろうという問題提起がなされたことをどれだけの人が感じたのかは興味があるところです。

 

多様性

誰がどんな姿で何をするか、残念ながら世の中には強い思い込みがあり、何かの形式の中で動かないとたちまち誰かがやってきて、やめろだのおかしいだの言ってくる世界にあると思います。

右を上げると左がいいと言う人が叫び、左を上げると右がいいと言う人が叫ぶ。両方無視をすると両方無視するな、と叫ぶ。こんな事態にならないためには、たいていの人が予想通りな行動をすれば叫びは最小に抑えられるといった塩梅です。

生まれついて、何となくそれを空気で感じ、20代で大人をおぼえるのですが、30代で窮屈に感じてきます。私の場合は40代でそれが爆発した感じです。もうこの窮屈な世界で窮屈に生きていられない、と。どうせほっといても後数十年で死ぬ。であれば、この誰が決めたわけでもない、もしかしたら自分自身が勝手に構築したのかもしれない、訳のわからない枠は取り外そう、取り外すべきだ、と。

むしろその枠自体が機能せず、自分自身を説明することと乖離しすぎていて、これじゃあ生きているのやら生きていないのやらわからない。もし仮に死を迎えるとしても、何も自分はやっていないんじゃないか、と気が付いた瞬間があったのです。

その記憶を、氷川きよしさんのパフォーマンスを見ながら、ダブらせておりました。彼も、「氷川きよし」というフォーマットに苦しみ、40代でいよいよ決心した一人なんだろうな、と。

そして、彼に「自由にやればいい」と本気で思いました。実は他人はそんなに人を見てはいない。一瞬、「え?」という視線を向けるのだけど、一分後にはすっかり忘れている。それぐらい他人は適当だし、自分が守ってきたものはいったい何だったんだろう、というぐらい、枠は他人が作ったものではなかったことに気が付かされます。

むしろ、自分自身が枠を作ってしまっていた。二十代になって大人になったころから変な柵をつぎはぎつぎはぎし、巨大な建築物になってしまったのだろうと思う。

だから、多様性を認めようというのは、多様性を認めない人に向かって言っているわけではないのです。自分にある枠を取り払って、自分の好きに生きようよ、人生は有限なんだから、という側面が非常に強いのではないかと思うのです。

いざ取り払ってみると、意外と好意的な人が現れます。訳の分からない心のしがらみで窮屈になった人の心より、自由に生き生きやっている人の所作の方が共感を得られるものです。それを見て徐々に自身が出て冒険は成功していくのですが、40代にもなって枠を取り外すだ冒険だというのが、おそらくメディアが伝える「働かないおじさん」や「氷河期で取り残された世代」に代表される40代像とはかけ離れているでしょう。そう、それらも、「誰かの考えた枠」に過ぎないのです。

 

自由に生きよう

2019年が終わり、2020年となりました。今年はいよいよ自由に生きよう。そう思っています。人の想像通りなどになるものか。守りになど入らない。いよいよ、未経験のゾーンに積極的に突入し、わけのわからないものを手にし、発見し感動していこう。決して枠に固まらない。他人にも自分にも制限されない。そんな気持ちで2020年のスタートラインに立ちました。

特に、40代から若い人(10代~20代)に向けて言いたいこと。多様性を大事にしてほしい。紅と白のどちらかに分けて考えるのはもう古い。いろんな考え方に触れて、すべてが正しい可能性もあることを感じてほしい。そして何が正しいかを決めるのは自分自身で、決してネットだけの伝聞情報に釣られることなく、体験して感じて自分自身を広げていってほしい、と思います。そこにお金を使うことは決して浪費ではなく、投資。お金が減ることを浪費と考えるのではなく、お金が減ったことと引き換えに将来財産になる経験を得られたかどうかが重要です。

私は2020年を、上記の気づきに基づいて生きていくつもりです。また来年の正月を迎えたときに、今日から何か前に進めているといいなと思いつつ今年が始まります。

あけましておめでとうございます。