orangeitems’s diary

クラウドで働くエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

「人をコンテンツとして扱う態度」について

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人をコンテンツとして扱う態度を考える

薄々感じていたことについて、言葉にする機会かなと思って書いてみます。

 

shiba710.hateblo.jp

生身の人間のことを「コンテンツ扱い」していないか。そして、マスメディアとSNSが結託するようになり極度にメディア化された社会の中ではそれがある程度しょうがないことだとしても、そのことが生身の人間の尊厳を毀損することに加担してないか。

 

考察

芸能人がコンテンツ扱いされることについては、大昔からの話であり、世界中でゴシップの名のもとに繰り返されています。最近で違うのはSNSが結びついて、ゴシップが一般人に拡散しやすくなっていることだと思います。人間の尊厳を毀損しやすくなっているということです。昔も、週刊誌やワイドショーをネタに飲み屋で芸能人のああだこうだの噂を知人で繰り広げることは日常茶飯事だったでしょう。しかし、今はSNSで国家レベルで高速で拡散し多数の人々に露わになってしまうのです。コンテンツたる芸能人がそれに対して無視を決め込むとしても鋼のメンタルを持たなければ生きてはいけませんし、一度だけ耐えられたとしても、それが一年、二年と継続するに連れ、精神をむしばんでいきます。おそらく、一切のネットメディアを遠ざけて生活しても、ある日ごくごく近い知人から、「あなた大丈夫?・・・って話題になっているけれど」と言われて絶望を感じるのです。ごくごく狭い自分の社会まで侵食して来るのがこのネット時代の怖い部分です。

一方、この件で、私も邦楽(JPOP)を子供のころからずっと接していて思うことがあります。JPOPで活躍するアーチストが近年、ものすごく短命になってきていることです。特に10代後半から20代前半の女性シンガーが、人気が出たと思ったら急に活動を辞めてしまったり、生活を崩してしまったりする現象が散見されています。一人二人ではありません。これはなぜか。Youtubeや定額制ストリーミングなどでCDが売れなくなったからと語られることも多かったのですが違うと思います。「大人になれない少女が、大人の世界に抗って嘆く」というコンテンツがヒットしやすいということをメディア側が熟知していて、歌える才能のある少女を見つけてコンテンツとしてプロデュースするまでのプロセスが確立してしまっているから、そう思います。きっと、選ばれた本人はそこまで大人の世界に対して絶望しているわけではなく、嘆いているわけでもないのです。しかし、ヒットする曲、持ち歌となる曲は、絶望とそれに対する抵抗を歌っています。そしてそのヒットを支えるスタッフ達は熟練の音楽家たちです。素晴らしい音楽が下りてきて素晴らしい演奏が付けられて、そこに明らかな世界観があり、あとは歌うだけになっているのです。そして、そのキャラクターを数年演じた後、突然本人はこう思うのです。「私は、もう大人になってしまった。なのに、大人へ抗う歌詞を今後も気持ちを込めて歌うことができるのか。」と。そこでモデルチェンジを図ろうとしたときに、大人に抗うコンテンツであるからこそ熟練の音楽家たちがサポートしていたのにそうでなくなった、本人がそれをできなくなったと分かった途端に、周りのサポートがなくなるのです。もちろん作品のクォリティーは落ち、世間からは、「才能が枯渇した」と言われます。世間も業界も、コンテンツを消費したのです。そして次のターゲットを見つけに次の才能を探すのです。でもコンテンツは一緒、「大人になれない少女が大人の世界に抗って嘆く」なのです。おそらく、ここを超えられるアーチストは、本当に自分自身をプロディースできる人か、プロデュースを一生やってくれる一蓮托生の仲間を持てた人、だと思います。

一方で、JPOPを見ているともう一つ、流行しているコンテンツがあります。「恋をしている20代の女の子」です。これは前章のコンテンツと違いターゲットは30歳くらいまであり長続きします。いわゆる「会いたい」系の歌です。歌の内容自体がすべて恋を基本としていて、何かに対する抗いはありません。このコンテンツは参入も激しいため、歌のトレーニングやプロデュース方法など汎用化されていて、いわゆる没個性的なマーケットになっています。ここで勝ち残るためには、歌そのものより、メディアやSNSでの露出などで、アイコンとして人気を得る必要があります。事務所の力が大事になってきます。この戦略は概して30以降で行きづまります。もし音楽家として生き残るのでしたら、圧倒的な歌唱力・作詞・作曲等の音楽力が必要です。ない場合は、JPOPのメインストリームから外れ、過去のヒット曲を財産として活動していくのみとなります。この路線において最もやってはいけないのは、SNSでの炎上です。むしろ地盤が人気のようなうつろいやすいものなので、何かの形でバッシングを受けるような要素が出てしまうと取り返すのが大変という側面があります。もちろん、周りを支えるスタッフも、コンテンツとして上昇が見込めない場合は、撤退するでしょう。この辺りは前章と同様です。

JPOPをコンテンツとして見たときに、これを徹底してパッケージングしているのが、ジャニーズ、AKB、EXILEなどの組織です。また演歌の世界もその傾向が強いですし最も力を実は持っていると思っています。企画段階からコンテンツのビジョンや内容を細かく定義し、そのフォーマットに合わせて人材を当てはめています。音楽ももちろん専門家からコンペを行い適したものを適したタイミングでリリースします。テレビなどのメディアでどのように映るかも含めてすべてコントロールしている印象です。その媒体となる個々のメンバーも、発言内容から態度から自分の見せ方から、全方位を徹底的に教育されています。

今のアーチストはこれら組織的なコンテンツに対して個人あるいは少数のグループで戦っていかなければいけないので非常に負担になっているはずです。メディア戦略も含めて同じことをしようとすると、自分自身とコンテンツとしての自分が乖離した感覚に陥るはずです。言いたいことも言えない閉塞感。これがアーチストの活動期間が短命になる大きな原因だと思います。

ここまで考察して、さて、コンテンツを消費する我々が、アーチストをコンテンツ扱いし生身の人間として扱っていない、と言えばそれはその通りだと思います。ただ最近感じるのは、アーチストとそれを取り巻く人たちが、我々を人間扱いしておらず、消費するパターンとしか見ていない節があります。それぐらいコンテンツが単純化し汎化していませんか。どの層の何に当てればどれぐらい売れるか、という計算の世界になってしまっていて、しかもそれが本当にビジネスになってしまっています。売る方然り買う方然り。あまりにもこのコンテンツマーケティングが蔓延してしまい、世界が単純化されてしまったと思います。したがって、消費する側ばかりに責任を求めたとしても無駄で、生産する側と消費する側がメディアやSNSを通じて「結託」して大きなサプライチェーンを作ってしまっているから、個人を攻め立てても何も出てこないという印象です。

総じて、この巨大な仕組みの中で、生粋のアーチストが自分自身のみで何かを生産し続けられる面積はどんどん少なくなっていると感じていますし、この大きな仕組みと戦おうとしてもきっと無力なんだろうと思います。メジャーデビューしたら途端に・・という例も散々見ています。

芸能界は、コンテンツデリバリーネットワーク、だと定義して締めくくります。

 

補足

水曜日のダウンタウンの今回の件に対する感想も、モンスターとはクロちゃんではなくそれを見に来た視聴者側だという指摘も多いのですが、私は関わっている人すべてに原因があると思っています。同じ理屈で、SNS単独に問題があるわけでもありません。そして炎上すると得をする人がいる点についても、この現象を逆手に取りつつコントロールできるスキルが存在するという理由で合理的な現象だと考えます。