orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

色んなことについて議論されつくした今、どうする?

 

ネットで何か話題になり、人々が意見を言い合い、次の日には忘れてる、というサイクルをずっと繰り返しているように思う。世の中ありとあらゆることがあるので、話題は無制限だと思っていたけど、さすがにもう10年くらいぐるぐるまわっているのでネタも尽きている感覚がある。たまにネットでよくあるでしょ、「こういう時はこうする時が大事」って話題。あれも昔話題になったことの焼き直しがほとんど。ネットでの生活が長い30代~50代あたりが、あ、この話題知ってるわ、この結論が大事だわ、と我先に、まるで本人が大発見したかのような調子で吹聴するのが最近のトレンドと言える。

若い人はもうその辺りを子ども時代から見てきて、ああ、ネットで余計なことを言うと先人たちが議論しつくされた結果に出て来たロジックで、やり込めようとしてくるんだわ、ということを十分に知っている。だから、色んなことを言えなくなっている。思っていることを言うとやり込められるので、「はい、はい、その通りです」としか発言できなくなり、大きいストレスを抱える、ということが本当に起きている気がしている。

ネットにはたくさんの人が集まっていて、かつ「圧倒的に勝って来た人」がいる。みんな勝ちたい。ぜひ勝っている人の近くにいて吸収したい。インフルエンサーという言葉はSNSと同時に登場した。テレビ時代に無かったのは、その距離の近さだと思う。有名人はステージの下から見上げるような位置取りだったのが、急に手のひらの中に登場した感じだ。

始めのうちは良かった。夢を見ていればよかったから。でもだんだんと、勝ち組になるためには色々大変であることがわかる。これまでのネットの日々の中で、人が生きていく上で出てきそうな悩みについては、ほとんどすべてのジャンルを網羅したんじゃないか。

燃えては消え燃えては消え、そして燃料がなくなったという形に見える。

人々はむしろ燃料になるのは御免、ということでめったなことをネットで言わなくなっていると思う。もう、いろいろ燃やし尽くしたので、仮にそんな存在が現れたら業火のごとく炎上するし、燃やし尽くして鎮静化する。そんな日々になったように私には見える。最近ネットがつまらないと思う方がいれば、そういうことである。人々は警戒し、SNSで心の内は見せず、むしろそれは現実でも波及している。何か言えばマウントされる、余計なことを言わないに限る、である。

40代後半の私などは、社会人になったらすぐに2ちゃんねるはあったし、30代になったらSNSができたし、このインターネットにおける議論の渦を始まりから見てきている。もう学習済みなのである。どんな話題も「過去行われた議論の延長」である。余計なことは言わないに限るし、言っている人がいたらどんな風にやり込まれるかも存じ上げているわけである。

あ、この風景どこかで見たな、と思ったらJPOPの世界だ。1990年ごろに市場はピークを迎えた。それでも今年まで曲自体は生まれるものの、ポップスの制約も含め、さすがにピッカピカに新しい表現は出なくなった。それこそ、今新曲を出しても、昔のあの曲の流れ、なぞマニアに言われてしまう。サブスクリプションで過去の曲も含めて聞き放題の現状だからこそ、中々「新しいもの」を作るのは難しい。

むしろ、今や「ネタばれ防止」のために、デジタルにつながることを恐れたほうがいいんじゃないか、という話すらある。そりゃ、いいものを1度出せば初回はバズるんだけど、あとはずっと残り続けて複製されるので、考えた人の先行者利益ってなんだろう、という疑問がある。

特にこれから、AIが半自動的にたくさんのデジタル生成をしていくのが確実なのだから、デジタルの及ばないところでアナログに対応することをポリシーとしていくことが大事なように見える。もし安直にデジタルが便利だと、色んなものを差し出していたら、自動的にデジタル化され奪われて大きな社会の共通知に吸い込まれてしまいそうだ。