orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ソーシャルゲームの楽しさの本質はソーシャルだったのか

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私はソーシャルゲームは一切やりません。多少やっていた時期もありましたが、ゲーム性が今一つ好きになれませんでした。課金すれば有利になるというのも納得できませんでしたし、なぜ数百億も1つのゲームタイトルで動くのか理解できないまま、数年が過ぎて行きました。ねほりんぱほりんでネトゲ廃人の回があって揶揄するような番組だったのもあり、病理的な側面からしか見ていませんでした。

テキストまとめ【ネトゲ廃人】 | 赤裸々トークまとめ | ねほりんぱほりんブログ:NHK

 

何か病的な中毒性があって、盲目的にお金を献上していると思っていました。

この記事を読むまでは。

sumahokakin.hatenadiary.jp

しかし、ソシャゲに100万円以上課金することでそういったどこにいても空気のような存在だった俺がみんなの中心になれたのだ。そして友達もできた。

 100万円以上課金して失敗したとは一切思ってない。むしろやってよかったなって思う。

 

ウルトラなるほど。目からウロコ。ゲームを買っているのではなくてソーシャルを買っていたのです。むしろソーシャルのないソーシャルゲームはつまらないということを示唆しています。

確かに、ソーシャルを買うというのは現代社会において、都会にいたとしても結構難しいと思います。みな学校だか会社だか、メインのソーシャルには属していますがそこにはミッションがあったりビジョンがあったりして息苦しい思いをしていると思います。上下関係もありますし、そこで上の立場になるのはほんの一握りです。また、近所とのコミュニティーは失われていますし隣に誰が住んでいるかもわからないくらいです。しかも友達関係など生まれようがありません。上下関係のない同好の人間関係こそ現代社会に最も不足している要素なんだと思いました。

この同好のソーシャルこそが、個人で百万円を費やしても価値があると言わしめるものだと言われると、そこから派生するゲーム攻略サイトがGamewithなどの数十億の上場企業を生み出しているのも不思議ではありません。ソーシャルを買うというのは安い買い物ではないとするとその情報をまとめてくれるサービスは価値がありますね。ソーシャルゲームはその金額の大きさであったり生活を乱したりと言った負の側面ばかりが指摘されがちですが狭い見方ですね。反省をしてしまいます。

一方で、「ソーシャルゲームが終了する」というのはそう言ったコミュニティーまで破壊するのでしょう。そのソーシャルゲームの継続性まで吟味して課金を始めるというのはいわば就職活動と同じなのかもしれません。会社だって破たんすれば同じ目に遭いますもんね。人によっては、終了リスクに合わせて複数のゲームを掛け持ちしている場合もありそうですね。そうすると、リスク分散みたいなことになって、立派にリスクマネジメントの世界になると思います。

パズドラやモンストなどメジャーどころはすでにソーシャル的な意味ではヒエラルキー(階層)が形成されていて、今更はじめても上には登りづらいので、わざわざ新しめのゲームから始める人もいるでしょうし、その分新規開発するニーズも生まれ続けるでしょう。そしてその新しいゲームに誘導するためにメディアにアフィリエイト料金を支払い、誘導するビジネスも健在なのでしょう。そして新規ものはすぐに見切りをつけて終了にするケースも多いので、ユーザーにとってはハイリスクハイリターンでしょうね。この場合のリスクとは終了することで、リターンとは、ソーシャルにおいて古参ユーザーとして尊敬されるということになりますね。

 

どうりで、ソーシャルゲームを一人でやっててもつまらないわけだ。納得。