orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

超くだらない仕事なのに予算が付く場合がたくさんあるから、技術者が不足する

 

技術者不足の話はよく聞く。現場にいる私の感覚だと、人数が不足しているというよりはスキルアンマッチ。つまり現場が欲しい人材がなかなか見当たらないということだと思う。

で、技術者不足、育てることよりニーズをコントロールすべきという意見を見て、まあそうかもな、と現場目線でも思っている。

 

xtech.nikkei.com

 こうした取り組みは確かに王道だが、実はやるべきことは他にもある。というか、むしろそちらのほうが優先すべき課題かもしれない。それは「ITに対する需要を抑制する」ことだ。「デジタル化が急速に進む時代に何を言うか」と思うかもしれないが、冷静に考えてみてほしい。

 

そう、私も客商売なので、お金をくれるというのなら、倫理的問題さえ無い限りはたいてい請けてしまう。ただその要件に対して「こうすれば、お金かからずできるんじゃないですかね?」と言うのは野暮である。そんなことを言ってしまうと、お金がもらえない。もらえるチャンスがあるのに、わざわざ自分からフイにすることはないだろう。

そういう心理でいろんな仕事が生まれているが、それらも本来、ITエンジニアがきちんと要件整理しさえすれば、減る仕事はたくさんあると思うが、経済原理上そうならないと言うのが現実である。

超くだらない要件でも、お客様の笑顔のために、高い品質と速い納期でお客様に届ける努力をするぐらいが精いっぱいなのだ。

この問題がなぜ起こるかと言うと、お客様のお悩みが発生する際に私がその場にいないからだ。悩みを解決するために、こんなことをやってほしい、とお客様がやってくるわけだが、もし私がその場にいたら即座にもっと良い解決法を伝え、要件が変わっていたはずだ。しかし、それはもっと後の話で、社内でこの悩みを解決するためにはこういう要件をこなさないと行けず、そのためにはベンダーに依頼するための予算が必要だ、みたいな話が先にある。予算がついてしまう。だから、その予算を持って見積の依頼をくれたお客様を前に、「ええっと、そうじゃなくてもできませんか?」なんて言っても手遅れなことが多いのである。話がもう進んでしまっていて、それをいつやるか、みたいな話に付き合うことしかできない。

だから本当は、もっと上流も上流、顧客のおそばで、顧客の大元の問題に対する、問題解決の場にいてこうしたらいいですよ、なんて言えたらいいんだけど。日本は残念ながらそうはなっていない。そりゃ、基幹業務に関わるような大きな話だったら問題ごとコンサルに丸投げして解決策ごともらうというのもアリだけど、もっと些細な、どうでもいい、くだらないことで要件は発生し続けているのが現実、なのだ。

ま、そんな小さな些細な、もっとほかにやり方あるでしょ、と言うような仕事でもかき集めれば結構なお仕事にもなり、多分やめられない。産業構造とITの関係が大きく変わらないと、なかなか、スマートに要件を最小化するなんてことは、夢の夢、だと思っている。だからこそ、IT技術者は慢性的に不足しているのである。

 

全て効率化したとしても残る仕事

 

随分、お仕事も工夫に工夫を重ね、効率のかたまりみたいな状態になったと思うですが、結局のところ仕事は残っています。残った仕事の特徴を考えてみたいと思います。

 

お約束している仕事内容の少し外側にある仕事

例えば、私はITインフラを担当しているのですが、明らかにアプリケーション開発側で問題を切り分けるべきな問題が起こります。お客様は開発だのインフラだのってのはよくわからないので、何か問題があるんじゃないかとご相談されます。

効率化している領域は、自分たちの仕事領域に限るわけで、一歩領域を出るとさすがに手付かずであることが多いです。全く関係ないと問い合わせは来ないのですが、ITインフラもアプリケーションも一体で動いてますので、きちんとITインフラの問題じゃないという反証ができないと逃れられません。

ITインフラの領域ならスラスラ問題に対応するのですが、そうではない領域だと人間が試行錯誤するしかなくなります。その結果、たいていITインフラじゃないという証明はできるのですが、アプリケーション側のトラブルシューティングをやってあげることになるので、まぁ効率の悪いこと。

アプリケーション側で切り分けしてくれた結果を頂ければ効率よく進むんですけどね。アプリケーション開発側も、インフラの問題ではないと切り分けないと調べないぞ、まであるので、いつも折れてアプリケーションの方を調べてます。

 

違和感を頼りにする仕事

監視システムを使って監視は自動化できているので、そこから出たアラートを見て行けば問題そのものや、問題の予兆にたどり着くことができます。

ただ、それが問題だ、問題ならこう対応すべきだ、解決できた、まで考える思考についてはケースバイケースで解法が異なるので中々自動化はできません。

問題の大小も、これを放置したらどうなる、から始まり予測のようなことをして、そこから優先度や緊急度を設定し、対応していきます。

単体のアラートから察する場合もあれば、過去の履歴から思い出すこともあり、そして複数のアラートから推移することもあります。

それはもう「違和感」と言う言葉以外には説明できない、センス的なものを、効率化・自動化するのは時間がかかります。毎回の人間の判断を積み上げて、法則をチームが悟っていくしかない。ただその悟りですらバイアスとなって、思い込みとなって、正確な判断をできなくすることもあり、なんとも人間系の話です。

 

わかってくれない相手の対応をする仕事

ChatGPTと話をすると良く思うのですが、空気の読めない回答をしてきますよね。相手の気持ちを考えない発言ができるのは、AIだから、という前置きがあるからですね。もしChatGPTと同じ言い回しで顧客対応をしたら、きっと怒りだします。ChatGPTは話す相手がわかってくれない場合に、すぐ拗ねますからね。わかってくれないなら私は話しません、じゃあ、わかってくれたことを前提に次の質問どうぞ、みたいなことを平気で言うヤツです。

人の気持ちがわからない時点で、あの生成AIってやつは落第なんじゃないかと常々思っているのですが、それでもロジカルに知識を整理するような分野ではもはや破竹の勢いと言ったところで、今後、人間の居場所っていうのは、お気持ち的な要素の入った仕事なんじゃないか、と思う次第です。

 

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あの、AIってヤツは、きっと人間じゃないです。人間ではできないことをやってますので、人間の性質を模倣した別の存在です。

ということは人間自身にはどうやってもAIにはできないことを求められるようになってきますから、その差分とは何ぞや、と言う哲学をこれから考えて行かなければいけないです。それをAIに聴いてもアイツは何でもできるってウソを答えてきますから当てにできません。

人の気持ちを考えた対応。何かぞわぞわする。そういう感覚には名前はついてないですが、これからの時代を勝ち抜くヒントはその辺りにありそうです、と私の感覚が言っています。

 

いらんことすなデジタル化

 

電話をね、うまく使って、何らかの条件に達した時に自動的に電話をコールして、それで状況を伝えるみたいなプロセスがあったんです。職場に。

これ自体はすごくデジタル化ならではだと思うんです。何らかの条件を検出するのもデジタル、電話をコールするのもAPIを使って、そこで自動音声をしゃべらせるのですがこれもデジタル。

電話を取る人は人間なので、人間に伝わるまでほぼデジタル。もし人で対応しようとしたら、その「何らかの条件」を人間が24時間監視してないといけないですよね。で、いざ達したとしてちゃんと、対応する連絡先に、内容を伝えられるかどうか。その辺も含めてデジタル化すると、人手が要らなくなるし伝える内容も一定していい感じです。

ところが。

デジタル化ってすごいな、なんてここで思ってることが氾濫していると私は感じています。だって、そもそも何で電話を使うんでしょうか。今ではメッセージングツールなんてたくさんあるのに、なぜそこで、レガシーな電話を使うんでしょう。電話は人と人とが話す道具であって、そこで自動音声っておかしくないですか。通知を受け取りたいのであれば、電話ではない手段を発想するべきです。

それを、今ある手順を疑わない。アナログな方法をそのままデジタル化しようとするから、いらんことすなデジタル化、が横行するわけです。その手順、目的を達するために本当に最適なのか。デジタル化するのになぜ、デジタルが無かった時と同じ方法を採るのか。また、現実をもう一度見つめ直しその手順が本当に今必要とされているかも確認したのか。

デジタル化自体がエンターテイメントとして成立している感もあり、またその周辺の技術についての専門家もたくさんいる。したがって「本当に必要か?」という視点無しに、「必要ったら必要」「お金を頂けるので精一杯やる」という思考にたくさんの人が取り込まれてしまうのである。

お金があればなんでもできる、の悪い面である。そもそもやらなくていいんじゃないの、を突き詰めると、やるべきことにお金を振り向けることもできるようになるし、最終的に使う人も大喜びである。

最近のデジタルツールが複雑化していることの要因でもある。共創の名のもとに、顧客が差し出してきたビジネスプロセスをそのままデジタル化してしまうのだ。結果、どうなったか。複雑で摩訶不思議なタッチパネルによる自動券売機や、アプリとWebブラウザを往復するようなわけのわからないスマホソリューション、1つのことをするのに、電話やチャット、アプリを往復しなければいけないような事務手続き。どうなってるんだと言わんばかりのデジタルの氾濫、そして利便性は向上していない始末である。

それなら、元からデジタル化すらしない方がよかったんじゃない?、今はとりあえず使うとして、数年後に保守が切れそうになったらどうするの?。ということである。アナログの方法なら保守期限はないが、デジタルだと永久に使えるわけじゃない。

そろそろ、本来のユーザー目線でのフローや、デジタルの意義みたいなことを、携わる人が考えて行った方がいい。かつ、同じ種類のアプリなのに、会社に寄って全然オペレーションが違ったりして、ユーザーとしてはもう付いていけないところまできている。業界全体で標準化するなどして、よりよいデジタル化、そしていらんことはしない。そうしてほしいものだ。

 

DXできているかどうかを見破る視点は紙にある

 

今の仕事で紙は登場しない。ちょっと前までは社内処理で紙が登場していたがついにワークフローがデジタル化され、完全ペーパレスになった。プリンターは社内にいくつか設置されているが、ほとんど使われていない。紙で仕事したのはもう何年前になるだろうか。もうパソコンで完結することに慣れてしまった。最近、外部の会社と絡んだときに紙や印鑑が登場して「未だにあるんかこんな処理」と思ったものだけど会社によってはまだ残っていると思う。もう何の基準もなしに、物理的に紙が登場する時点で確信していい。DXできていない、と。それぐらい、物理的な紙ほど生産性を落とす存在はない。生み出してしまったらどこかに保管しなければいけないし、不備があればまた作成しなければいけない。電気なしでも残るというメリットはあるが、物理的に輸送しないと動かないし、その書類に書き加えられた修正、いわば改ざんを見破る方法もない。

大昔に紙中心の会社で仕事したとき。紙に印鑑を押す場所があり5箇所にハンコリレーをして完成する書類があった。その後不備に気付いたのだが、上からすらすらと書き加えて修正完了・・ってそりゃ改ざん。印鑑押した人たちも涙目。そんな白紙の小切手みたいな話あるんですかね、と思ったものだけど、もはや思い出である。

後、大量の紙が保管されている部屋がビルのかなりの面積を陣取っていて、あたかも古文書保管センターになっている姿を見たことがある。保管って言ったって、捨てるのが怖いだけで置いていたら膨張してしまったという話である。紙はデジタル以上に保管し続けるのが難しいし、保管したとしても今度は見つけることが難しい。

そうだ、昔のある書類を見つけるという仕事が発生して、その保管部屋に入ったんだけど、そのファイルが保管されているだろうキングファイルの背表紙で当たりをつけながら探していったのを思い出した。ない。むしろ背表紙と中身が一致していない(笑)。後は、背表紙がないパターンもあった。また、閉じすぎて、金具を外したら「バン」って大きな音がして、二度と閉じれなくなったみたいなこともあった気がする。

紙って、メディアとして迫力があるのは知っていて、明朝体でまじめったらしく文書を作り、印鑑でも押すと何か法的にものすごく強制力がありそうに見えてしまう。だからそれを利用していろんなワークフローが紙のままで色んな会社に残っているのは知っているけど、もはやデジタルでも同様に強制力はあるからね。紙の不便さのほうが圧倒的に勝っているので、もし紙の一枚でも見つけたらDXできてないなと思えば良いと思う。

後は、メモを取るときにまだ紙のメモ帳を使い続けている人がいるのを知っている。昔は会議の場にノートPCを持ち込むのには消極的だった。会議くらいパソコン離れて相手の目を見て話そうよという主義だったのだが、メモを取らないといけない会議も確かにある。そのときは昔は紙にペンだったけど、今はパソコンでもいいという考え方に変わった。それはリモートでの経験が大きいかな。パソコンで色々できるからね。随分昔の考え方を、昔だと断ずることができやすくなったけれど、紙にメモ、だって私はデジタル化すべきだと思っている。

DXと言うとかなり敷居が高そうに思うが、つまりはペーパーレスと考えればわかりやすいのではないだろうか。ペーパーレスの先にも世界はあるのだけど、まずは紙を無くしたらどうだい、と言いたくなる瞬間はまだたくさん、残っている。

 

オープンソースフリーライドが通用した10年前

 

オープンソースがまだ華やかだった頃と言えば2010年辺りか。

2010年ごろは、CentOS5からCentOS6あたりに切り替わったころで、もうOSと言えばこれだった。だってタダなんだもん。しかも実質Red Hat Enterprize Linuxと同じ機能・品質なんだからこれで顧客提案したら、顧客も喜ぶ。なんせタダだから。

しかもCentOSを入れてしまえば、中にWebサーバーやらDBサーバーやら付いてて、しかも堅牢に動く。ハードウェアさえ手に入れてしまえば、ソフトウェアみんなタダで、何かあってもアップデートは降りてくるし、こんなの最高じゃん、ってノリだったよ、当時は。

お金があって、慎重なお客様だけRed Hat Enterprize Linuxにしてたね。もちろん有償サポートを受けられるのはいいことだけど、ちゃんと動いていればサポートすらいらないもので。

結構、それでオープンソースを引っ張りまくってソフトウェアを無料にして、その分安くしながらシステム構築した人がたくさんいるだろう。そしてまだ現役で動いているものもあると思う。CentOS7のサポートが2024年6末まであるからね。

しかしその現状も、ひどいね。

以前から言われていたけど、オープンソースコミュニティーに対して1円も出さずに、また貢献もせずに、その成果物をパクって自分の作品の一部にしてるってこと。つまりフリーライド、と言われることをかなりの人がやってきたことで、今オープンソースの世界は大きく変わりつつある。

最近「BSLライセンス」ってのが有名になりつつあって、ね。

 

cloud.watch.impress.co.jp

 Dadgar氏は「自由にソースコードが利用できるようにすることで、開発者が自由にダウンロードし、調査し、自分たちの問題を解決するのが容易になる」という信念から、製品をオープンソースにすることを決めた。それによってクラウドプロバイダーらとの密な提携が可能になり、共同顧客やパートナーにメリットをもたらしたと、振り返った。

 だが、その一方で、「実質的な貢献をせずに、純粋なOSSモデル、OSSプロジェクトでのコミュニティの作業をうまく利用するベンダーも存在する」と述べ、「オープンソースはイノベーションを複製し、既存の流通チャネルを通じて販売することへの障壁を減じてきた」としながら、「商用オープンソースモデルは進化する必要がある」と、今回のライセンス変更の理由を説明した。

 

この記事だとあいまいだけど、オープンソースベンダーもとにかく野放図にしないぞ、という意図は読み取れる。

BSLの色んな記事を読むと、やりたいことはAWSのようなクラウドベンダーが、オープンソースコミュニティーに何の見返りもなく自社サービスに取り込んで、自社のエンドユーザーにお金を取って使わせることを止めさせたいように見える。

オープンソースコミュニティーの不利益となる企業には明確に使わせんぞ、ということである。

例のCentOS8の突然の終了や、AlmaやRockyの混乱などを見ても、もうオープンソースで昔のようにフリーライドしようとしても、色んな条件でできなくなりつつある世の中のように見える。

ま、そりゃそうだろう、って。

今までがおかしかったよね、作った人がいる成果物を、横からタダでそのまま持って行って、お金儲けする人がいるってのは・・。

 

だから、これから・・きっとソフトウェアの値段も円安でものすごく高いとは思うけど、だからと言ってオープンソースで無料で・・なんて発想は始めから止めたほうがいい。どのオープンソースだって最近は色々な制約が入っている。

企業ユースだと、無償版はコミュニティー版で商用利用に大幅な制限あり。ちゃんと使うなら有償版を買って保守を結んで・・みたいなプロダクトも多くなってきた。それなら、初めから有償ソフトウェアと並べて比較した方がいい。それがよっぽど健全だと思う。価値とお金がセットじゃないと、作らされた方が一方的に損をするだけだからね。