orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

中途半端を飲み込める力を持て

 

システム運用してると、本当はちゃんと対策をしたほうがいいんだけど、対策することそのもので別のミスを誘発するかも、なんて場面がある。いつ停止しても、再起動してもいいみたいなシステムならいいが、休み無く24時間使い続けているという場合だと困る。ちょっとしたトラブルでもおおごとになることもある。だから、できるだけ放置する、触らない、も立派なシステム安定のための手段だ。

だからといって、何もしないといずれ問題が起こるケースもある。セキュリティーの脆弱性が発見されていて、しかもその脆弱性経由での攻撃の可能性が否定できない場合、早急に対応しなければいけない。一刻も速く。

そのときに、じゃあソフトウェアのバージョンを上げます、が根本的な解決策だったりするのだが、そのバージョンアップ作業自体に危険が潜む場合がある。最新バージョンにアップデートしたところ、その中の一部のソフトウェアの動きが代わり、途端にシステムが異常をきたす、のようなシナリオは実際にある。システム運用ポリシーとして、何が何でも最新バージョンを適用し、システムに不具合があったらその時点で対応する、のように考えられるのがベストだが、かなりのシステムがそうはならない。もうリリースした直後のバージョンで安定しているのだから使い続ける、という選択をすることも多い。この当たりのさじ加減は大昔から話題になっているけど、結論は出ていない。最新にし続けるのが最善なのは皆わかっているが、最新にしたことで起こる不具合すらも保守費用を支払う必要がある。お金がかかることには皆慎重であり、コストを優先してバージョンアップしない選択もまた、現実である。

そしていくつもシステムを抱えると、完全な状態、つまり定期的にアップデートをあてたがる客と、中途半端な状態、致命的出ないもの以外はあてないと決め込んでいる客、きれいに分かれて、運用者としては複雑な気持ちになる。同じ事業者が管理しているのに、別々のポリシーで運用している。

このように、割り切れないことが世の中にはたくさんある。正しさは1つではない。その状況をいびつと捉えて悩むか、いやこれが普通であると飲み込むか。私はもう個々までの経験で「飲み込む」ことを決めた。世に完全はない。不完全である様を正確に捉えるぐらいしかできることがない。

一つ一つの仕事で、ああ、もっと実力があればもっとできたのに、なんてことも最近は思わないようにしている。完全にやり遂げたと感じたらそれは錯覚だ。もっと優秀な人はもっと優秀な仕事ができたかもしれないのだから。もう、目の前の現実をよく観察し、できることをやって、それでもし結果が不完全でも、反省もしない。世の中は複雑過ぎていくら想定したって100点にならないようにできている。それなら、ベストを尽くして結果は知らない、でいいではないか。いくら悩んだって、同じ状況は二度と来ないのが常なのだから、前を向いて後ろに中途半端を置いて先に進むのが是である。

そう、目の前では完全を目指すも、結果は中途半端。それでも前に突き進んで、前のことをやっていく。過去の成果がどうなったかなんて、一度確認したらもう無用。そんな、中途半端を飲み込める力が、社会に出てから必要になる場面が増えたというか、そうじゃないとやっていけないぐらいの思いをすることが多くなったように思う。

中途半端に成し遂げて、次へ次へ。