orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

宵越しのデータは持たない

 

私の自宅の壁には1枚も写真を飾っていない。あんまり写真を撮られるのも好きではないし、過去の思い出を振り替えることも全くしない。若い時にデジカメが発売され、おおデジタルでいくらでも写真を残せると歓喜したものだけど、撮ったデータをいかに保管するかで萎えてしまった。デジタル情報を永久に残すのって難しい。むしろ印刷した方が残るんじゃないか。ストレージにファイルとして残っている状態は、永遠を意味しない。

iPhoneの初期(3GS)の容量は8GB/16GB/32GBから選べていた。最新の15では、128GB/256GB/512GBとなっている。なんとも16倍だ。これは写真一枚当たりの容量が増えたことや、動画も気軽に撮るようになったことも関係しているだろうが、過去の写真の取り回しも関係しているだろう。皆、Appleの言うようにクラウド保管しているのだろうか。よくわからないが、私はそもそも過去のデータを保管しようと言う気持ちがないので、最低の容量を買うようにしている。この有り余る領域は、音楽のサブスクのキャッシュとして使うぐらいしか用途はない。

ストレージに携わるたくさんの方々のおかげで、デジタルデータがハードウェア的な問題で消失する機会は本当に減ったと思う。ソフトウェア的にもたくさんのバグによる悪影響がたくさんあったが、これも少なくなった。データの取り回しで人為的に問題を起こす場合はこれは、人が運用する限り永遠に無くならないと思うが、それすらも先回りしてソフトウェアが安全に処理してくれそうな気はする。今のデジタル社会は、2000年にデジタル革命と言われてから、理想を達成するため技術者がたくさんの不具合と戦い、解決させて、やっと得た現在地点だ。安全にデータを半永久的に保管することも夢では無くなったが、それで、じゃあそのデータ、いつまで保管するの?という問いは意外と皆持てていない。自分の人生よりも長く保管される可能性が出てきたからに他ならない。それって、関心ある?。

個人でもそうだし、企業でもそうで、このデータをいつまでも保管するというのは私はやめるべきだと思っている。そんなに貯めこんで何をするのか。データ分析に活かすと言ってもあんまり古い情報だと役に立たないではないか。どうせ使えるのは1年くらいだから、それより古けりゃさっさと捨ててしまえばいいものを、どこやらのデータサイエンティストが昔のデータ引っ張って来て、分析の結果こうですみたいな話をし出し、いやいやいや、みたいなことになるので、捨てちゃうのが吉。無駄な仕事を生まなくて済むのだ。

だいたいデータを保管するのだって資源が必要になる。その資源、具体的にはサーバーも、いつか保守切れが来てまた新しいサーバーに移さないといけないから、累積的にデータが増えると資源がどんどん枯渇するようにできている。

インターネットで古参のサービスが終了するときにネットからデータが失われるみたいな話もあったが、失われればいい。むしろ保管し過ぎだと思う。過去なんてセピア色になって失われればいいものを、何か大事に残さなきゃいけないみたいなムーブは良くない。

とりあえずは、宵越しのデータは持たない。今が楽しいことが全て。今を見て生きていきたい。