orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

手順書って、何であんなに思い通りにいかないのか

 

もう数えきれないくらいの手順書を書いた。

手順書は何のためにあるかご存じだろうか。

 

①履歴としての観点
・やったことを記録し後から見返せるためのログとしての手順書

②事前把握としての観点
・一字一句やることを全て事前に網羅し、責任者が想定していないことを、作業者がやってしまわないための手順書

③教材としての観点
・未熟者への教材のために使う手順書

 

この3つである。理屈はわかるし、非常に大事なのはわかる。

わかるけど、ちょっと感じる無力感。

あんなにきちんと書いた手順書、役に立っていないと感じる瞬間がある。

 

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作業後に誰も見てない

何かあったら見るけれど。何も無きゃ誰も作業後の手順なんて見やしない。

たまに「ウソ」が書いてある。作業者がちゃんと中身を修正していないケースがある。だから、過去の手順って言ったって、100%は信用できない。コピペして実際やってみたら、隣から「あれ、これ多分この通り行かない」と言われ、じゃあ何でコピペ元の手順書そうなってないんだよ、となる。

 

やったこともないのに手順書なんて書けるか

たまに、これまでやったことのない手順に挑むことがある。

手順書を作って作業をしましょうね、の原則が通用しない。ここはやりながら、後追いで手順書を作っていくしかない。

そのために検証環境があるはずだが、検証環境で事故らないために、事前に手順書を作るみたいなループにハマることはあって、検証のための検証環境を用意したりして、おーい、ってなる。

結構なベテランが、手順書もなくいきなり本番環境に挑み、そこで手順書を作ることもあったりして、原則ってなんだろうね、みたいな場面がある。

 

知らんやつは手順書だけ見てもわからん

手順書、私はできるだけ、なぜその手順を実施するか日本語で書くんだけど。でも、人によってその粒度はバラバラ。人によっては全く注釈を付けない人もいる。

これって、プログラムのコーディングと同じだと思うけど、注釈つけ過ぎると手順書が膨らんでまた読みにくくなる。

この辺はセンスなんだけど、センスって教えづらい。

で、作業優先で考え始めると、なかなか教材っぽい手順書はできてこない。コマンドが羅列していて、そこから何の手順で何を目指しているかまで読み取れるような人はどんどん伸びるけど、そういう人ばかりじゃないし、期待するのは違うかな。

基礎ができている人が手順書を見るといいけど、手順書を見て基礎はつかないと思う。

プロスポーツ選手のプレイをテレビで見て、いきなり素人が真似するぐらい、なんか違う。

 

再利用しようとしたら、その通りにいかない

ソフトウェアは日々のメンテナンスでバージョンアップを繰り返すので、画面や文言、表現や操作方法、ちょっとずつ変わる。

手順書がそれに合わせて変わってくれるわけじゃないので、下手したら過去の手順書は、「思い出」レベルになる。

だから、手順書を精緻にしたいとはあんまり毎回思わない。

 

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ということで、手順書いっぱい作ったけど、かなり限界を感じている。

手順書があって、手順通りできる人という技術レベルも、業界では低い評価だし。そうじゃなく、手順書も何もないところから、手順書を作り上げて安全に作業ができる人のほうが求められる。または手順書通りいかないときに、なぜ行かないのかを何らかの手段で調査し、推し進められる人の評価が高い。

じゃあそういうときの手順書ってなんだろ、と思うんだけど、そうだなぁ、未熟者に何か教えなきゃいけないときのメモ?。または、稀にやる作業であり昔やったことを、再度思い出すためのインデックス?。

だからこそ、出来上がっているものは、どれもこれも60点~70点くらいのもので、見返すと、作った本人でもうーん、って感じ。でも0点じゃないから、ないよりは全然マシというレベル。

よく、企業の障害報告書で、対策が「手順書作成・レビューの徹底」なんて書いてあるけど、そうはいかないよね、と思う。手順書ってやつは、なかなか地球や人間のあいまいかつ複雑なところを見える化している、趣のある現象だ。