世の中がどこまで行っても理不尽である理由

 

最近は、ブログつながりでたくさんの方とお話しすることができ、見識が深まっている。そもそも、読まれているという事実を確認できたし、だからこそちょっと書くときにやや固くなったりもするのだが、まあ、性格的にも気にするようなタイプではないので、今後も節度を守りながらも自由に書いていきたい。

さて、人それぞれいろんな人生があり、それぞれが主人公である。身の回りには味方もいるし、味方じゃない人もいそうだ。さながらゲームのようでもある。みな、こうしたいという理想はありつつもそれを達成できず、日々努力しながら成長していく。

そして面白いのが、その脇役も、その人にフォーカスすると主人公であるということ。

実はモブなんてこの世におらず、全員が主人公であるという事実を最近感じる。

主人公であるからには、それぞれが論理的に物事を考えているはずである。わざわざ自分にとって理不尽なことはしまい。自分が得になるように動く。相対的に他人が損をするかもしれないがまずは自分を先に考えるだろう。これを、論理の力をつかって頭で考え行動する。

それぞれの人がそうしているはずなのに、なぜ理不尽なことが起こるのだろうか。それぞれの理屈がすべてかみ合えば、この世はもっと生きやすいのではないか。なぜ、理屈は、ロジックはこんなに破綻しているのだろう。

それは、論理とは、持っている情報を組み合わせて完成させるからではないか、と思っている。持っている情報が偏っていると、偏った論理を正しいと感じてしまう。よく洗脳や、ブラック企業、ネットワークビジネスなどで聞く話だが、正しい情報を遮断し、都合の良い情報だけを与える環境を作ってしまう。そして時間を奪いできるだけ考えなくさせる。そうすると、与えられた情報のみでよりシンプルな論理を構築してしまう。これを人為的に成功させると、人は間違った論理によってい間違った行動を引き起こす。

つまり、理不尽の根本は情報につきる。たくさんの情報を持っていればいるほど、端的には複雑かつ緻密な論理を組むことができる。質の悪い情報は排除できる。そして誤った行動をしている人は、概して間違った情報に囲まれて生きている。人は環境が大事ということの一つにこの論理がある。

日本をずっと見てきて、過去当たり前だと思われていたことが現在非常識となっていることも多い。これは多くの人に正しい情報が行き渡り、正しく行動ができるようになった成果でもある。・・・と思っていたけど、一部の人から聞く限り、理不尽はたくさんの場所に存在する。いろんな形を変えて。そして私の周りにもある。

もしかしたら、自分こそ、まだ正しい情報が足りていないのかもしれない。私が他人に理不尽をもたらしているかもしれないし、過去はそうあったのかもしれないな。それが反省である。反省するから人は成長できるが、その前は・・明らかに情報不足だった。自分で失敗して初めて、「それは間違いだよ」という情報を得ることができるけど、私の場合は我が強いのもあって、自分で経験しないとわからないというのが、まあ人より多くの失敗を実体験している原因の一つだろうな、と自己分析している。でももう失敗は嫌だな。だから、いろんな人と話して情報を得て、なんとかしたい。

そして、残念ながら世の中から理不尽はなくならない。どこまで行っても。世界を見てみれば、国家単位で理不尽が起きているのだから。

できるのは、自分自身が、よりたくさん、かつ偏らない場所から情報を得ること。たくさんの見方を身に着け、論理的に考える習慣をつけること。

自分が他人にとっての理不尽な悪役にならないように、今後もたくさんの情報を得られるよう活動し、論理的に考えていきたいものである。