orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

競争社会で埋没しないための考え方

  

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能力が高い人。

社会で能力が高いと言われる人の人数は多すぎてもいけない。なぜならば、能力が高いイコール報酬が高い、という条件を満たさないといけないが、社会全体の富は有限なので人数も絞らなければいけないからである。だから競争は必ずあるし、その中から勝ち残った人が、能力の高い人とされる。

競争ありきなので、相対評価を基本とする。

 

中程度の能力の人。

学校教育とは実はこのゾーンの人を大量に生み出す制度である。学校教育は天才を生み出すためには特化されておらず、労働力になることができる中程度の能力の人々を安定的に生み出すことに特化している。

過去は受験戦争なので勝ち負けを気にする教育を進め過ぎたために、競争における負けとされる人を生み出すこととなった。その反省から絶対評価に代わり、たくさんの人々が負けない制度に変わった。これは、中程度の能力の人を傷つけないための配慮であり、今もって安定的に稼働していると思う。

学習塾は「能力が高い人」になるために学校教育の外で対応を行う制度であるが、最近聞いた話では、中国では営業目的の学習塾が禁止されてしまったらしい。それは、たくさんの中程度の能力の人が、「能力が高い人」になろうとして教育費が高くなりすぎ、少子化の原因になってしまったからだそうだ。思い切りのいい国だなという感想だが、一方で理にかなっているような気もする。教育費にお金をつぎ込むのは一種のチートに近いからだ。全体主義から考えると、チート行為は取り締まらなければいけない。全員同じ条件で競争させたほうが、より客観的に能力格差がわかる。

 

能力が低い人。

社会にとって「能力が低い人」というカテゴリーは少ない方がいい。

なぜならば、働くことが難しくなるからだ。

能力が低い、といってもある分野に関してであり、特定の分野については秀でるものがあるかもしれない。

だから、いろんな分野が存在し、どこかで受け入れられるような社会が望まれる。能力が低い人、というのは、見つけられなかった人である。でも探し方が悪いのかもしれない。今、社会が多様性、ダイバーシティーを広く叫んでいるのはオリンピックを見てもわかるが、裾野が広がれば広がるほど、たくさんの人が救われるはずだ。

学校教育のどの科目でも能力が低いと言われた人が、ある趣味の分野では日本、いや世界に通じてしまうと言うことだってあり得るのが世の中だ。だから、人間に対して、ある決まった尺度だけで評価するのではなく、たくさん挑戦するカテゴリーがあり、どこかで能力を発揮できる。そんな社会の仕掛けが必要であろうと考える。

 

と、能力の高中低によって人間を大まかにカテゴライズしたが、この考え方において、現代社会がずれ始めている。それは、仕事が多数の人間を必要としないケースが増えていることだ。昔は労働力=人数、という式がなりたった。今はITやロボティクスなど、人間を肩代わりする技術が大変向上した。いわゆる知識集約型と言われる働き方は、一部の能力の高い人間だけで、あとは機械化、IT化を進めればたくさんの労働力は不要にになる分野が育っている。

こうなったときに、もし「中程度の能力の人」にカテゴライズされ、単に会社の言うとおりにアサインされた部署で社会人生活を安泰に終えられるかは非常に危うい時代となった。自分の仕事を奪いに来るのは他人ではなく、ITかもしれない。

 

ちょっと前に業界で話題になった話がある。

 

xtech.nikkei.com

 東京高裁が特に問題視したのが、システムの仕様を策定するうえで重要な役割を担っていた野村証券のユーザー部門「X氏」の振る舞いだ。

 当時、投資顧問事業部(判決文では「投資顧問部」)の次長だったX氏は、パッケージソフトに合わせて業務を最適化するという会社の方針に反して自身の現行業務を維持することに固執。プロジェクト途中で追加要件を多発し、日本IBMの担当者らに対して「辛辣な他罰的、攻撃的発言」(判決文)を繰り返した。

 東京高裁は判決文でX氏について「自分の庭先(担当業務)をきれいにすることだけを考えている」と認定。断続的に変更要求を多発するX氏から、目標としていた2013年1月の稼働開始に間に合うのかについて「質問がなかったのが不思議なくらいであった」(判決文)などと指摘した。

 

この件、本文をよく読んで理解してもらいたいが、X氏は自身の業務をパッケージソフトにいわば奪われんとしていたのだ。

単にベンダー対ユーザーの係争ということより、まさに業務と人間の関係について考えさせられる一件となった。

この世の中は、ITの進化によって、大多数の人間が生きにくくなりつつあるのかもしれない。そうなると、プレーンで人数の多い「中程度の能力の人」は、かえって不利が生じやすくなっているのかもしれない。労働力がどんどん不要になっているのならば、だ。

 

この前、

 

 

とツイートしたが、この話にも通じるかもしれない。

多様性は認められる世の中になっているから、誰も挑戦していないようなマイノリティーの分野にどんどん挑戦したほうが、埋没しない存在になれるのかもしれない、と思った。オンリーワンはやっぱり強いのだ。