orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

世の能力主義は機能していない

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会社で評価の高い仕事ができたとしますよね。そうすると年次評価でプラス査定され、もし上のポストが空いていれば職位が上がります。ベタな言い方だと、平社員から係長、課長、部長と進んでいきます。最近は会社によって肩書もいろいろですが、会社の考える責任の高い職位にチャレンジできる権利を持たされることになります。

文脈的には能力により出世していくのですが、たまに思うのは、責任が重いからと言って評価された能力をより必要とするかといえばそうとは言い切れないこと。平社員のときのほうがよっぽど能力を発揮してたよ、みたいなことが起こりえます。管理職になって人の管理に忙殺されるようになってくると、ああ平社員のときに、技術に専念していたころが懐かしいな、なんてことが起こりえます。しかも、部門のビジネスモデルやオペレーションがとてもよくできていて、管理職にそこまで能力が求められない、ということもあります。しかしポストの無い組織などありませんから、それまで能力を発揮した人がそこに就く。とても自然なのですが、だからといって高い能力を発揮する必要はない。

つまり、日本における能力主義の最も矛盾しているのは、能力を発揮していた人から、その能力を発揮した業務を卒業させるというその仕組みです。

このメカニズムがぴったり働いている職場を二十年くらい前にみたことがあって、ITの会社だったのですが、技術的にできるとされる人の職位が上がっていくと、みんな人の管理をし出すんです。勤務表を管理したり会社からの伝達事項を周知したり。まるで総務のようなことをしつつ、何かトラブルがあれば対応するような役回りをやらされます。一番できるとされる人だから全体の面倒をみるのは一種合理的なんですが、本人にしてみれば、ITで能力を発揮したのに、何で人の面倒に忙殺されなきゃいけないんだ、と。

能力を発揮したことを評価された結果、発揮したフィールドからは引きはがされるというわけのわからないことが、日本における能力主義の最も矛盾したところだと思います。

能力が高いから、責任の高い仕事に。だから給与も上がる。ここまではいいのに、仕事内容が変わっちゃうんですね。

それが問題ということで、管理職に進まない専門職のようなものを作ろうというブームもありました。技術一本でもキャリアパスを作ろうと。職位が上がってもスペシャリストであり、人の管理はしなくてもいい、と。

マネージャーでもないリーダーでもない、人の管理をしなくてもいいけど職位が高く、独立して能力を発揮し続けられる。これはジョブ型雇用に近い思想です。スペシャリストといえばピンとくるかもしれません。

ただ、もしその評価された能力が、社会的に陳腐化したらどうなるのか。あなたの能力は社会に通用しませんので、明日からは平社員です、ごめんね。なんて、日本の会社で制度設計できるのでしょうか。能力を発揮した、ということを定量化(数字で見えるようにする)するって、なかなか曖昧なものです。評価者の「あいつ、きらい」みたいなことで数字が変えられるとしたら、能力って何だろうと思ってしまいます。

そう考えると、技術者であっても、関わったプロジェクトの予算規模とか、指導したメンバーの人数や活躍具合、安定運用への貢献度など、能力そのものではなく能力が発揮されて出した結果を評価することになります。であれば、能力が高い人は、高い成果を発揮したフィールドをできるだけ外さない分野に留まった方が良いのですが、なんとも「偉い=人を束ねる・大金を動かす」みたいな感覚が強く、たいていは当初の仕事とどんどんずれていき、年を重ねるごとに「あの人は昔はできたんだけど」と揶揄される、早期退職候補者が出来上がっていくような気がしてなりません。

おそらく「能力」主義と皆が認識しているのは「地頭」主義なのではないでしょうか。仕事のフィールドは揺れ動くし立場も求められることもどんどん変わります。それに対して追随し、結果を出し続ける地頭の良さ。でもこれって本当に能力主義なのかな、って思います。能力主義の定義としては適当過ぎませんか?。