orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

AIの危険性のようなものを体感してみた

 

このところStable Diffusionとやらが流行していて、かつブームどころか性能はどんどん上がっているっぽいので、手を出してみた。手持ちのNVidia GeForce RTX 3090の能力も持て余してみたので、さて最近のAIはどうなんだろうと興味津々。

 

Windows 11で試したのだけど、まずインストールがものすごく簡単だった。たいていブームになるものは、導入までのハードルが低い。ご多聞に漏れず、普段インフラエンジニアとしてあまたのソフトウェア導入を行っている私に取ってみたら、なんとも軽い作業だった。ただ、インストール中はいろいろと自動でライブラリを持ってきてくれたりしていて、ああ賢いなこのインストーラーと思った。

去年までもいろいろAI関連のツールは出ていたけれど、たいていが導入が難しく、ようやくインストールが終わっても、何かエラーが出て実行できない。そんな思いを何度かして、しばらく慎重になっていたが、とにかくこのStable Diffusionは簡単であった。動かせなきゃ流行らないもんね。

 

ただインストールが簡単って言っても、じゃあ、ちゃんと使い物になるのか。

これがまた直感的なWebインターフェースを自前で用意してくれている。操作は至極簡単で、触りながら覚えていく類の、良くできた管理画面がついている。

そして、利用に当たっては機械学習済みのモデルが必要だが、これを配布するサイトもすごくきれいに作ってある。流行りが一巡してから始めただけあって、先人が整えた成果物が無数にあり、これを利用していくだけでも日が暮れるくらいだ。

使い物に・・というレベルの話ではない。本格的に使える、という結果が次々と排出され、世界が驚いてるだけあるわ、と思った次第である。

 

ちなみに、Stable Diffusion、何をするものかというと、AIによる画像作成を行うソフトだ。テキストを何個か入れて「画像作成」を行うと、そのテキストに沿った画像が排出されるという具合である。

まだ使ったことのない方は、「どうせ数時間、もって1日2日ぐらいで飽きるだろう」とお思いの方も随分多いと思う。私も、全く期待しないが、とりあえず流行りはおさえておこう、暇だし、という後ろ向きな気持ちで動かし始めたのが発端だ。

ところがどうか、もう一週間ほど経つが飽きる気配がない。面白い、は継続しているが、これは何だろう。楽器を習ったり、絵を描いたりするのと同じかもしれない。奥が深い。やればやるほど上手くなる。上手くなるとまた違うことをやってみたくなる。そうやっていって、ネタ切れになるころに飽きが来るのだと思うが、どうもそれが来ない。どこに行った。

 

ここからが、AIの危険性の話である。画像作成に限った話ではあるが、可能性が無限大である。テキストの内容で結果が変わるが、あまりにもたくさんの選択肢をAIが知ってくれている。そしてテキスト自体も何万語とあるわけで、その組み合わせとなると、その組み合わせは人間の頭が認識できる量ではない。

無限とあるテキストの組み合わせに、かつStable Diffusionとそのプラグインが提供するパラメータの調整は、おそらく世界の全てを把握することぐらい果てしなく、奥行きがあり、把握しようと思うだけで日が暮れるのである。

そして次の日はまた別のことをする、それでも新しい何かが見つかる。

こういうことを何日か続けていて、ハッとした。これは、沼じゃないか、と。全ての娯楽よりStable Diffusionをさわっていることが楽しいかも・・ぐらいな状況であった。

まあ、私もいい年をした大人なので、節度を持って楽しんでいくように気を引き締め、本業にもブログ執筆にも影響がないようにしていこうと気を引き締めたのだが、これは果たして、全ての人間がちゃんと理性を保っていられるのだろうか。

ChatGPTなどを使いこなしている人が「自分の人格を拡張するような感じ」と評したのを耳にしたことがあるが、今回も似たような思いである。決して自分では生み出せない絵を、AIによって現実に出すことができる。手に馴染めば馴染むほど、拡張されていく感が強く、楽しいしかないのだが、あまりにも夢中になり過ぎると、生活に支障をきたすほどではないかな。

 

AIによって仕事が奪われるだのというのは、何となくこれまで人類が技術革新によって辿って来たことを心配しているだけの話のように思う。私が心配しているのは、これはテクノロジーの進化だけでは論じることのできない、人間の認知に与える影響である。こんなものを、人間がコントロールできるんだろうか・・それぐらい、その能力の高さに驚愕するのである。