orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

誰かを説得したいときは結論に感情を入れないこと 「悲しい」「困る」は禁句

 

ネットにはいろんな記事が落ちているが、

「[サービス・商品] は○○になってしまって悲しい」

「[サービス・商品] は○○になると困る」

というタイトルが散見される。これって、悲しい/困る、からビジネスオーナーはそうするなと言いたいのだろう。

会社勤めしてビジネスに携わっている感想として、根拠が個人の感情だと全然説得力が生まれません。一個人が悲しかろうが困ろうが、物事を変える根拠になりえない。

「悲しい!」「困る!」じゃ、私の心には何にも響かない。

もし、何かを主張したいのであれば、悲しいと何が起こるのか。困ると何が起きるのか。自分自身が推測した結果について主張する必要がある。

あなた(個人)がそうなんじゃなくて、多数の人々が不快に思うはずだ。そのために大量のユーザーが離散し、だからビジネスオーナーが困るんですよ。例えるならそういう言い方をしなければいけない。

きっと、著者がそういう表現にしていない一つの理由は、自分以外の多数の人が共感してくれるか自信がないことの裏返しのように思う。個人が悲しかったり困ったりするのは事実だから、それ以上踏み込めないのだろう。そして、もし共感の輪が広がれば、一番先にこれを言ったと改めて言うつもりなんだろうが。

もしくは、自分がこういう負の感情であるから、どうにかしなさいって言う論旨?。それだとすると随分と対象の母集団が小さすぎる。

自分はリスクを負わないで、読み手の感情に訴えて、そしてこの意見を支持してくださいというのはなんとも回りくどいし、覚悟がない。だからこその説得力のなさ。

そもそも論で、書き手の感情などどうでもよい。その行為によって全体として何が引き起こされるのかという仮説なのであるから、私はこう主張する、で良いと思う。しかし、なんだか主張するのが最近、皆、臆病になっているように思う。きっと、炎上するのがこわいのじゃなかろうか。こんなことを言っている奴がいて、周りとずれてるぞ、とネットで注目されてしまうと、後々大変になるという印象がある。

また、ネットは匿名記事が多い。私も匿名で活動しているが、匿名なのに感情を入れると、もうわけがわからない。誰だかわからない人が悲しかろうが困ろうが、知らないのである。その人のバックボーンも抱えている状況も理解するのが難しい。だからこそ、感情面については人それぞれなのであまり興味もなく、それはそれとして、最終的にどうなると思うんだい?ということを主張すべきと思う。だって、書き手だって、他人の感情は類推なのでしょう?。自分の感情って特に匿名だと、根拠になりえなくないか。すごく知ってるどこぞの誰さんならまだわかるが・・。

まぁ、匿名なれどキャラクターが多数から支持され、その感情表現が読者から求められているというのなら感情を強めに入れて話すのはわかるが・・(私はきっとそんなブログはやってない)。

これは、たまに大手の新聞やテレビですらやらかすロジックだと思う。根拠が感情論。過去の価値観・常識の引きずりなど、「私はこう思う・・専門家の私が言っているから本当だ」みたいな理屈から出られていないこともある。

せっかく主張するなら、感情はさておき、ぜひ事実を言い当てて頂きたいものである。