orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

個人ブログと真実と誤りと悪魔の証明

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orangeitems diaryは個人ブログです

私の興味に基づいていろんなことを記事にしているのですが、原則は個人ブログです。ニュースソースが間違っていることがあるかもしれませんし、私の読み方がおかしいこともあるかもしれません。ぜひ、情報の真贋に関しては十分にご注意頂き、慎重にご判断ください。精一杯正確にしようとはしてますけど、ね、こればかりは。

あと、カテゴリーに捉われずたくさん記事を書いてますが、全部一人で書いてます。ですます調であったり、である調であったりしますが、慎重な時はですます調になりがちです。一人でこんなに書けるわけがない、と思われているかもしれませんが、一人でやっています。仕事が順調なのと、健康なのと、キータッチが異様に早いのと、いろいろです。

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真実か、推測か、憶測か、誤りか

職業柄、よく技術系記事を書きます。ニュースの影響が大きいにも関わらず、ニュースサイトにもない情報であったり、ニュースになっていても詳細な情報が含まれていない場合は、最近はすぐブログ記事にするようにしています。

あまりにも個人の意見だけ書いていると信憑性が出せないので、まずはニュースソースを示すようにしています。そこからポイントを引用して、そこから肉付けをするようにしています。最後に考察を入れます。こうやって記事は完成していきます。

記事にするだけあって、現在進行中のセキュリティー問題であったり、ライセンスの問題であったりと複雑な事実であることも多くなり、これを100%真実であると証明することが難しい話題もあります。ただ記事を書く以上は「何らかの事実」を証明したいと思って記事を作成します。いわゆる「ある」という証明をするために、いろんな状況証拠を集めます。

しかし、100%でないときは、これは「推測」と言わざるを得ません。そして、その正確さが下がっていくと「憶測」と呼ばれることとなります。

憶測:

確かな根拠もなくいいかげんに推測すること。 「彼の処遇についてさまざまに-されている」 「 -で物を言う」 「単なる-にすぎない」

憶測とは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

 最後に、絶対間違っているという証明がされるときには、「誤り」となるわけですね。

したがって、個人ブログの記事というのは、「真実」「推測」「憶測」「誤り」の4つに分けられると思います。

 

私の姿勢について

個人ブログとはいえ、Google検索エンジンに登録され公に晒される以上は、できるだけ真実に近い推測を書かなければいけないという善管注意義務のようなものが発生するのだろうと思います。

業務を委任された人の職業や専門家としての能力、社会的地位などから考えて通常期待される注意義務のこと。注意義務を怠り、履行遅滞・不完全履行・履行不能などに至る場合は民法上過失があると見なされ、状況に応じて損害賠償や契約解除などが可能となる。

善管注意義務(ゼンカンチュウイギム)とは - コトバンク

ただ、読み手の誰とも契約していないわけですし契約書があるわけでもありません。公共のメディアを使う上で暗黙に期待されている義務だと考えるしかないと思っています。

本日、とある事件でデマを拡散した人が告発されるという事件が報道されています。

mainichi.jp

インターネットにおいて意図的に誤りを発信し、名誉毀損などが明らかであるなど実害があると刑事告訴されるリスクがあるということを、個人ブログを書いている私としても考えざるをえません。もちろん、表現の自由は憲法で保証されているのですが、意図的に「誤り」を拡散して社会に迷惑をかける自由はないと思います(今回の名誉毀損に当たる発言も含めて)。

一方で、絶対に真実であることを保障することはできません。世の中に絶対真実であると言うことを言い切ることはできないと思うのです。世の中の真実とは「大多数の人が賛成し、少数の人は発言をしないか少なすぎて聞こえない」ぐらいのことだと思います。地球が丸いことすら長い歴史の中で真実ではなかったわけですから。

また、人によって意見が変わる出来事については、何が真実かを定義することは困難です。ある人にとっては真実でも、ある人にとっては誤りかもしれません。例えば「仕事は人間にとって生きがいである」。これは真実でしょうか。誤りでしょうか。人によって真実が異なることがあることも忘れてはいけません。その場合、真実を強く主張すれば立場が反対の人たちにとっては、誤りを拡散しているように取られ、大変なバッシングに遭うことになります。

よって最近は記事に「個人の見解です」と書くことが多くなったのですが、この辺りを注意しての記載です。私自身は真実と思って書いているのですが、人によっては誤りかもしれません。または誤りと証明する情報を持ち合わせている人がいるかもしれません。ただ、ものの真実かどうかの議論はともかく個人の見解を表現することは、表現の自由と矛盾しないと思います。

このように思って、記事を作成しているとご判断いただければと思います。

 

悪魔の証明を求められることがある

最近、悪魔の証明という言葉が、国会論戦で流行ったのをご存知でしょうか。

www.bengo4.com

「それはこういうことです。『ある(あることや存在する)』ことを証明するためには、一例を挙げさえすれば証明できたこととなります。

ところが、『ない(ないこと、存在しない)』ことを証明するためには、世の中の森羅万象を調べ尽くさなければなりません。

たとえば、『白いカラスが存在する』ということを証明するためには、(見つかるかどうかは別にして)『白いカラス』を一匹でも捕まえてくれば証明できます。

しかし、『白いカラスは存在しない』ということを証明するためには、この世界に存在する全てのカラスを捕まえて、それが『白』でないことを明らかにしなければ、『白いカラスは存在しない』ということを証明できたとはいえないのです。

おそらく、それは不可能に近いでしょう。

悪魔の証明の定義についてはこの通りですが、ブログで記事を作成していると、たまに反響として悪魔の証明を求められることがあるのです。

一番こたえるのはこの指摘です(笑)。

「この記事は憶測と思われる」

憶測でないことを証明するためには、その記事に書かれていない全ての事実を捕まえて明らかにしなければ、それが憶測でないことを証明できません。例えば、

「これは・・・という事実があるから誤りではありませんか?」

と指摘されれれば、そうか私の記事は誤りか、と思い修正を入れることにしています。こういう指摘は、反対意見だとしても記事を書いたかいがあったなあと思う良い体験です。

結構、反響を気にするほうなのでいろいろと見て考えるのですが、なかなか「全ての可能性を記事に盛り込んでないので憶測」と言われると、「記事にそこまで書けん!」(千鳥ノブ風に)と脳内で突っ込んでしまうこと数回です。

悪魔の証明の指摘に対して悪魔の証明だ、と事を荒立てる意図は全くないのですが、議論において反証する際は、反対の事実があることを示して頂けたほうが有益なネット上の議論となると思います。

 

これからも記事を量産します

ブログを始めるまでにはできなかったいろいろな経験ができていて、これからもorangeitemsは記事を量産していきたいと思っています。たまに、役に立った、とか、わかりやすい、などの反応をいただき、モチベーションアップしています。これからも末長くお願いいたします。