orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

内部監査の限界

 

先日発表された「株式会社日本カストディ銀行 ガバナンス検証第三者委員会の調査・検証報告書」に考えさせられた。

 

・調査・検証報告書
https://www.custody.jp/news/pdf/news_cbj/20240419_report1.pdf

 

・調査・検証報告書(要約版)
https://www.custody.jp/news/pdf/news_cbj/20240419_report2.pdf

 

要約版だけ見ても理解できるだろう。

ガバナンス機能が欠落していた、と一言で言えば簡単だが、これらの件は誰が止めることができたのだろうか。

社内で自浄作用を働かせるとして、役員レベルで「こうしなさい」と内部監査人含め現場に命令が飛んだら、何も言えなくなるんじゃないかな。

内部監査人の指摘は役員レベル以上の重みを持つのなら発言ができるが、それこそ権限がおかしいことになる。内部監査の結果を役員が承認するのだから。

つまり、取締役会レベルが汚れていたとしたら、いくら内部監査人が踊ったところでこういった件は止められないと言うことが言えると思う。

役員がこうありたい、と思った以上のことは監査では指摘できないと思う。だって会社はそういう決まりだしそれに従ってるだけだから・・は正論である。それでは「会社の決まりがおかしい!」と内部監査人が役員に指摘したらどうか。役員は「何か文句でもあるのか!?」となってしまうだろう。

これって、「半沢直樹」で見たテーマと同じだな・・と。会社の不正を暴いたからと言って、悪が裁かれるわけじゃない。むしろ告発した方が飛ばされるまである。

色んな会社の不祥事を見ても、結局は「役員レベルの考え方がおかしい・幼稚・利己的」みたいなところに落ち着くことがわかってきている。

だからこそ第三者委員会の自由な発言が必要なわけで、今回の文書をもとに役員レベルで反省し、それこそ会社のルール自体を見直せるかどうか、に会社の今後が委ねられることになる。第三者委員会が今後の改善まで見届けるわけじゃないからね。

モチベーションの高い内部監査人は、ISOなどの要求事項を読み込み理解し、そして現場に要求するわけだけど、そもそも役員レベルがその要求事項を受け入れなきゃ、頭がおかしくなるだろうね。下に正義を求めるも、上が悪なんだから。

そういうときはどうするんだろう。「適合するところだけ話を長めにして、適合しないところはさらりと流す」になるんだろう。良くある話だ。

監査をした側、された側ならわかるんじゃないか。こんな、「問題なし」と言うための監査、意味があるのか?って。

監査って言うのは、その結果を承認する役員レベルが正しくあってこそ機能する。

だからこそ取締役には「監査役」って役割があるんだけど、これもまた社長や大株主の影響を受けるから、どこまで行ったって会社の不祥事は、経営陣の考え次第ってことがわかるよな、と思う報告書であった。

第三者委員会の報告書に対しての次のアクションについては、やっぱりトップが前に出て「これからはこうする」と説明し「改善結果についても公表する」と約束し、そして実現することがポイントになるだろう。

問題が起きるくらいなら、始めから正しくあればいいのに、なんて思うけど、正しくないことによる弊害についてピンと来てなかったんだろうね。人間ってなんでそういう生き物なんだろう。痛い目に遭わないと「自分たちだけは何とか大丈夫だろう」なんて思うよね。

最近、そんな事例を本当によく見かけるんだが、学びはないのだろうか。