orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

意思決定の鍵はコミュニケーション

 

物事を決断するときに、歯切れがよくわかりやすく時間をかけず端的に発言することができると、「歯切れがいい人」「決断力がある人」みたいな評価になる・・・なんて、シンプルにしか思っていなかった。

この仮説のもと、次々と思ったことを世に放っていったらどうなるか。

- あいつは人の話を聞かないで勝手に決める
- 思いつきだけでいろいろ発言しないで欲しい
- 私はその話を聴いていない。それは事前調整不足ではないか

という具合である。むしろ現実においては、決断力のある人=無能、であったりする。

 

つまり、何か歯切れがいいことを言うというのは、イコール、その発言をするまでにそのことを重要な人物群が承認している、ということになる。その言葉を言ったときにはもう主要人物たちは先に動いていて、それが実現されることの前提を仕立て上げている。事前調整が済んでいるからこそ、大体的に発言しても、無風で現実が動いていくのである。

決断力があるというのは専制的だということじゃない。決断するときに周辺をまとめられるかどうか、ということまで含んでいる。もし、まとめられないのに勝手気ままに振る舞うことなのであれば、その決断、きっと実現しない。実現しない決断を乱発する人は退場させられるのが筋、である。

某国の総理大臣が「聞く力」を乱発したが、その結果人の話を聞きすぎて、利益相反が起きてしまったのはもう周知の事実。増税しろと減税しろを両方やって、熱湯を氷にかけてぬるま湯になった現状。つまるところ、聞くのは大切だが、そこから自分の意思をを持って人々を説得しなければいけない。意思とはストーリーである。こういうストーリーならうまくいくだろう。説得の途中で前提条件がさまざま変わっていくので、一つの自分が考えたストーリーに固執せず、よりよき方法を採用しながら一つの結論をまとめていく。これこそ、リーダーに求められる決断力であろう。

さて、国を憂いている暇は私にはなくて、自分のことで精一杯でもある。私は決断力があるほうだと昔から思っていたけれど、それは単に「人の話を聞かずに自分で決める」ということだったにほかならないな、と今は思う。

文字通り決めて断じるのではなく、まずは関係者に意見を伺う。その様子を見て聞いた話も総合してストーリーを微調整、もしくは大きく変えながら、最終的な結論に導いていく。それが決断力かと言われると、決断できるために必要な調整力。この調整力こそが決断力の源だとわかる。今は多少、調整することについてできるようになったとは思うが、多分に私の苦手な部分だった。

さて、決断力の正体がわかった。つまりは「解像度」である。何かを決めたときに何が起こるかを事前に知ることができるほど、情報を把握していること。解像度が低いのにやたら決めた、決断した、と言ったって頓挫するか、全体のストーリーが破綻しているので効果がやたら低いか、そのどちらかだ。

土日の休みでいくら考えても、その結論通り全く行かなかったのは解像度が低かったことが原因だろう。ただ、今回は無理に押し通さなかったのでいろんな方の助言で、いろんな方が動いてくれるようになっていて、これはこれでベストの方法を採用したと思う。そもそもの私の頭の中とは全然違うストーリーになった気もするが、これはこれで、決断の一つの形である。