orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

時給の働き方を超えるタイミング

 

アルバイトで1時間、何か言われたことをやってお金をもらう。これがほとんどの人の仕事に対する原体験だと思う。その1時間、ゆっくりやっても普通にやっても、そして一生懸命にやってももらえるお金が変わらないというのがポイントだ。だったら、ゆっくりやった方が「得」なんじゃない?ということについては社会はあまり解答を示していない。

アルバイトでも評価制度のようなものは一応作られていて、上のポジションを作って時給を上げるみたいなことを行う職場もあるかもしれないが、そもそもアルバイトそのものが不安定な待遇であるし、給料も安い。労働者の都合で好きな時間に働いたり、突然辞めたりしても許されるからこそというのはあるが、重責を負うのは割に合わない。そんなに、もらえるか?。

正社員になってもう長い事経つが、極論言って1時間仕事しなくたって別に誰にも咎められない。ただし、1日、1週間、1か月、もしくは半年、1年という長い期間のレベルでは結果を出さないといけない。何も評価をせずお給料をくれる会社はあるのかもしれないけど、そりゃあようござんしたねとしか言いようが無い。何らかの責務を担うことと、お給料は等価交換のはずである。頂く以上は何かを返さないと話がおかしい。

ビジネスには段階がある。

自分が手を動かし続けないといけない草創期。ビジネスの基盤というか、どういうふうに仕事をすればいいかという形を作る際は自分自身、ビジネスオーナーが手本とならねばならない。この段階はまさに時給の働き方に近い。自分がやらねば誰がやるといった形で、手を動かし続けて、毎日良く働いたねという在り方。ここはあまり違和感はなかった。

ビジネスが拡大すると、必ず自分の手が回らないほどの仕事を抱えるようになるから、チームを作るようになる。メンバーに今まで自分が作った作業手順を授け、少しずつ手伝ってもらうようになる。ただあくまでもお手伝いであり、肩代わりはなかなか難しい。後ろで見てあげたり、事前に全て手順を確認したりと、それはそれで時給で働いている感はある。マイクロマネジメント、に近い。この段階で手伝いに来たメンバーに仕事を放り投げてしまうと、十中八九うまくいかないか、思っていたのと違う方向に行ってしまう。個人事業がチームになった段階で、第二の創業、だと思う。

さてこの次だ。チームが育ち、チームに事業の一部をお任せする時期がやってくる。自分自身は間接的にしか関与しなくなる。店長と経営者のような関係で、経営者は店にいつもいるわけじゃない。店の成績は数字で日々確認し、違和感があれば店長と相談は欠かさない。定期的に報告は聴くが、毎日店で監視し続けて店員に直接指示を出すようなことはしない。それは店長の仕事だ。つまり、管理監督責任。店の方向性を決めたり、現場では対応できないような重大状況を担当する。ここまで来ると、うまくいっているときの仕事は名前が付けられなくなる。極論言えば数字さえクリアしていれば、何もしないことだって正当化される。

ここまで来ると、時給の働き方が通用しなくなる。一生懸命、残業していろんなことをやっていたとしても、数字が伴わなければ評価されない。当初のアルバイト時のルールと逸脱している。ここで働かなくなる人もいる。数字を出ていることに安穏として、イスに座って、気まぐれにチームにちょっかいを出して、重要なことも見逃し、面倒なことはチームリーダーに丸投げして、評論家気取り。でも数字は出ているので、評価はされるという面倒な話になる。

よく問題になる、働かないオジサン、はみんなこの類である。みんな、だ。

居なくても同じじゃないかとチームに言われないように、何らかの貢献をビジネスに対してする役回りを構築しなければいけない。この立場は絶対に必要だ。チームを客観的に舵取りし、何か問題があれば率先して動ける「余裕」があり、リソース(人、モノ、カネ)を動かせる実力がある人。

こうやって働き方のフェーズを眺めてみると、どこかで時給の働き方を超えないと限界が来ることがわかる。どこかの1時間で決断したことが、1年間もしくは未来を大きく変えることだってあるのだ。ずっとがんばればいい、を卒業しないといけない時が来る。このことを忘れてはいけない。