orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

直感に頼らず、データに依存する社会の判断がおかしい

 

最近はデータ、データうるさい。

データに基づかないと判断は間違えるらしい。データドリブンというらしい。

この辺りにこの世が抱える病理がありそうだ。つまらないぞ、判断が全てつまらない方向に向かっていく。

過去の傾向を読んで全てその通りになるだろうという判断が横行することで、全ては消費された後の結果だけが積み上げられていく。

もっとおおらかに、エビデンスを求めずに大胆にスピーディーに人間が決めていくことを、大事にした方がいいと思っている。

人間は今、AIを使いこなすことに夢中だけれど、そもそも人間を使いこなせたことがあったのか。人間同士で戦争しているような動物が、AIを御せるはずがない。

もっと人間の持つ優れた感覚を、デジタルで置き換えないで、感覚的に捉えたほうが今や良い判断ができるのではないか、という仮説を持っている。

人間がより良いものを選択しようとするとき、それが全てデータ分析による結果だとは思えない。なんとなくいい。これがいいかも。その感覚。

最近だとレビューやSNSの口コミが人間の判断に大きな影響を与えていると言われているが、もともと過去はそんなものは無かった。

日本にも高度成長期と言う時代があって、世界が驚くほどの経済成長をしていたものだが、そのころはインターネットどころかパソコンすらなく、人々は会議とノートとペンだけで全てを判断していた。

そんな時代でも、情報を集めて正しさを追い求めていたわけで、その時の方が日本は元気だった。彼らはもちろんデータを参考にはしていただろうけど、それよりもただただ目の前の状況をよく見つめ、頭をひねってロジックを組み立て、そして哲学を持って状況に対応していたと想像する。

ルールや秩序もあやふやで、だからこそ自分たちで決めなければいけないことも多く、非効率がはびこる時代だっただろうけれど、その分、頭を使ったんだろうと思う。

ここ最近は真逆で、ルールも秩序もかなり細かくなり過ぎた。細かいルールをデジタルに閉じ込めて人間は楽をしようとしている。考えることをデジタルに任せて、半自動的に判断が下りて、決して間違えない社会を作ろうとしている。

ここに盲点が隠れている。この既存のルールや秩序から出られなくなっている。出ようとすることすら考えなくなっている。組み合わせは無限大なのに、組み合わせ方を定義しようとしている。

デジタルが未来の希望だ、という風潮に対し、むしろこの逆に革新というか、全てをひっくり返す潜在能力を感じている。それはアート・芸術の分野にも踏み込むのかもしれない。人間でしか作ることができないし、しかしある程度の再現性がある。人間の直感が生み出せるかもしれないことは、デジタルでは踏み込めない確信は個人的にある。

そんな分野にも、AIがひたひたと迫っていることは知っている。だけれど、その作成物を見るに、達していない。再現させられない。それを待っているより、人間なんてたくさんいるんだから、ぜひその能力を結集し、優れた判断をすることについて積極的に利用したい。自信をもって、人間だからこそできうるこの直感による判断について、突き詰めていきたい。おそらくそれが、人間の武器である。