orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

自分の中にある短所と向き合っても何も得られなかった

 

 

私が子供のころからきっと自分に対する過大評価があったんだと思う。

努力すれば何とかなる、という手段にかなり期待し過ぎていた面がある。忍耐と根性で何でも克服できると思っていた節がある。

人間は自分の中で得意な部分よりも、苦手な部分の方が自分によくわかる。なぜなら、苦しいからだ。私の場合人づきあいが苦手で人見知りしたり、集団が苦手なことは事あるごとに自分自身に突き刺さった。この短所さえ克服すれば、さぞ人生は好転するに違いない、と本当に思っていた。

とは言え短所と言うものは厄介である。年齢を経るにしたがいずる賢くなるので、短所がないようにも振る舞える。とにかくニコニコすることと、耐えること。バレない間に取り繕っていけばいずれ、上手になるに違いない。そうやって、短所との付き合いを延々とやっていた。いつか消えるだろうと期待していた。

その結果、短所は消失したか。できるようになったか。

できるようになっていない。十年単位、二十年単位でわかる。何にも変わってない。自分の本質は幼少期から何も変わらない。

私が諦めたのは40代前半。短所がさく裂していろんなことがうまく行かなくなった時に、これは無理だ、と諦めた。その後はどうしたかというと、できるだけ短所が露わになる瞬間から逃げるようになった。

全ての場面で短所が足を引っ張るのではなく、傾向のようなものはあるので、それを避ければいい。避けられないものは仕方がない。人生に必要な税金だと思ってスルーする。楽しくもなんともないのだが、しょうがない。でも、最低限にする。逃げられるのならすぐ逃げる。

もっとかっこよく生きたいのもではあるが、短所と向き合う時間は克服となにもリンクしていない。ただただ苦痛なだけなので、できるだけ少ない時間に留めるのがポイントである。

もう飲み会も二次会は断るようにしたし、人のマネジメントをするより、技術的なアウトプットを優先するようにもした。全ては逃げであるが、それより、得意なことに集中することにした。得意なことは他人にはできない。苦手なことに1使うより、得意なことを2積み上げる。そしたら、得意なことの方がどんどん目立って行って、多少の短所に人々が目をつむってくれるようになる。あの人はああ言う人だけど、仕事はもうすごいできるんだから、と。

そうしたことで広い道が現れた。できることだけを追求する。長所と付き合うことで長所を伸ばすことについては明らかに結果が出た。きっと、人は長所を過小評価している。短所をいつまで経っても克服できないように、長所は他人にとってコピーできないものである。自分の短所なんて、得意な人に任せておく。お願いする。頼る。これで色んなことがうまく行き出した。

短所があるからうまく行かないと言う思考より、自分の長所はなんだろう、長所を探そうという思考をするべきだ。だからこそ、いろんな経験をしていくことが重要となる。自分の得意とは何だ。これを探すことを中心に置き、短所は逃げればいいのだ。