orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

最悪の時期に耐えることの有用性

 

そうだなあ、状況はコロナ禍が終わりそうで終わらなかった2021年後半から2022年前半くらいが底だったかな。いろんな運のなさが絡まり、今から考えると窮地だった気がする。いやあれは完全に窮地だった。でも、物事って、自分で窮地だって言うと確定しちゃう。大丈夫、とりあえず今日は生きてる。窮地って明日がないことでしょ。明日はあるもん。そんなことを言ったり思ったりして、あの頃は毎日を過ごしていた。

今はその頃に比べるとかなり余裕のある状態だ。比較してみると明らかだ。何をやったらこうなったっけ。毎日を一生懸命過ごしてきたから実はあまり振り返っていない。でも、何かやったんだ。そうじゃないとこんなに変わることはない。

明らかな変化はオフィス出勤。フルリモートに近い状態だったのを取りやめ、かなり出社するように変えた。後は増員。新しいメンバーを受け入れたり他部門から支援を仰いた。出社することと増員と、つまり人との接点を密にした。何をするかよりどこに誰とやるかがまずはポイントとなった。

次は、私のマイクロマネジメント的アプローチからの脱却。「私がいなくなったら」を私が連呼するという妙なことをずっとやった。関係者もわかってくれて、できるだけチームメンバーで、組織で対応しようということを考えてくれるようになった。

その中で、組織構成に課題があった瞬間があった。理想に対して手が届かない。そんな間にも仕事量がピークになりこれはまずい、となったときにさらなる増員をすることができ、かつとても機能した。

何しろ、窮地から今までに至るまでに、多くの人々の援助を頂いた。自分一人では絶対に無理だったし、チームで仕事をすると恐ろしく生産性が上がることを知った。オフィスに集まったことでチームメンバー間の相互理解がブーストし、私が想像できないほどのレベルアップを私抜きで実現しつつあることが驚く。

考えてみれば、窮地に至るまでは誰を育ててどうするか、みたいな狭い意味での教育ばかり考えていた。そこから組織を1から作って適材適所に配置し、そして自律的な活動を求める。私は裏方に回りつつ組織の成長を臨機応変に支援する。そんなやりかたに変えた途端にこの変化っぷりである。窮地から充実へ。

この間、何が流行ったかといえば人工知能だ。遊びでかじっていたが、この人工知能が学習すること自体のプロセスが非常に参考になった。学習プロセスはかなり雑で、正しい情報が何かを未差別に与えていき、その傾向をAIは学んでいく。教えるほうがカリキュラムを作ってテストするという類の学校で行われるような学習ではない。ただただ正解を繰り返し教える。あとはAI側が勝手に学んでいく。

部下の育成にしたって、学校の授業みたいなことを真似事してやってみたことはあったが、これが響かなかった。それより、文中のように、責任と目的を与え、あとは自分たちでやりなさい。これが恐ろしく効果的だったのが印象的で、人間はプログラミングするんではなく、AIの学習過程を意識して育てるといいんだな、と今になってみればわかる。

あのころの、今では窮地と言えるあの時期。人によっては絶望してしまうのだろうけど、住めば都なのかもしれぬ。こんなに変わることってあるんだな。そういった意味でのタフさは多分、誰しもどんな人生でも必要になり、ここからだけでは逃げないと決めたら、勝負したらたいていのことはどうにかなるんじゃないか、なんて思う。

ただ、それ以外のこと、〜こんなつまらないことに命をかける必要はないわ〜、と思ったのなら、さーっと逃げてしまえばいいと思う。そのメリハリ、優先順位の付け方みたいなものが重要に思う。だって、窮地だったことが時間を使って粘っているとかなり良くなることって本当に起こるのだから、勝負と思ったら石にかじりついてでも離れない根性、みたいなものが重要になるシーンは誰しもあると思う。