orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

人はネットのために、何かを問題にし糾弾することを学習してしまった

 

インターネットと社会心理の関係性については、もっと論じられてもいいと思う。2000年あたりにインターネットがどかーんと現れて、そして2010年辺りにスマートフォンがこれまたどかーんと現れて。時代は瞬く間に変わってしまった。

スマートフォンより前も、iモードやらEZwebやらモバイルはあったけれど、あれは専らゲームやらプチ情報みたいなもんだった。スマートフォンが出てきてから、人々は24時間ネットとつながることになった。インターネットにコンテンツを生み出すほうが、積極的にスマートフォン対応していったのをおぼえているが、あんなに日進月歩を感じられた10年間はなかった。2020年になったらコロナ禍が来て、おそらく時代は止まったと思う。止まり続けたが、急に2023年になって進み始めて、AIが今そこに来ている。

ちなみに、1996年あたりからインターネットが日本の家庭に進出し始めたけど、前夜と言っていいだろう。私はインターネットプロバイダーをあの頃5社くらいハシゴした記憶があるけど、何とも有象無象の会社ががやがやしていて楽しかった。だが、ほんの限られた人しか使っていなかったので、社会心理への影響まで語るにはちょっとまだニッチだったと思う。

恐らく、ここ3年は止まっていたと言ったが、止まっている間人々はネットに閉じこもっていた。だって家を気軽に出られなかったんだもの。ネットみるしかないじゃんと、ネット業界は逆に成長したが、そのネットが人々に与える影響も随分煮詰まったと思う。それは間違いない。この「おうち生活」なるものが3年間もだらだらと続いたことについて誰も総括しないのはおかしい。おかしいのにみんな忘れたふりして生きていないか。人々は、社会は大きな影響を受けていて、みんな変質してしまった。

じゃあ、変質なんて言うけれど何が変わったの?。

そしてこの記事のタイトルに戻る。

「人はネットのために、何かを問題にし糾弾することを学習してしまった」

ネット仕草。ネットだと、気に入らないことや引っ掛かったことがあったら、すぐに発言して、ってやってるよね。2019年ごろまでは、まだ人々は飲み込んでいたと思う。もしくはネットに書き込むことなどしなかったと思う。

あまりにも暇、だったからみんなやったわけ。書き込み。どんどん書き込んでいくことがネット企業の成長につながった。書いてくれたからデータが溜まって、それを利用して今たくさんの企業が商売している。人々がネットを使うことを、それこそ国も出てきてたくさんの仕組みを作った。利用はかなり進んだけれど、負の影響は必ずある。それが、批判をすぐに口にすることに、躊躇しなくなったということ。

ネットだけだから、現実ではそんなことしないよ、なんて思っていただろう。それが2019年までの世界。ここ3年、人々はネットでしか生きられない、ネット自体が現実になる時間を長い時間過ごした。よって、ネット仕草が現実に染み出しているどころか、現実が染まってしまった。

ネット言論で活躍してた人が、よく最近テレビに出て、論破とかやっているでしょ。あれはもう象徴としか言えない。皆が知らないうちに大きな影響を受けて、小さなレベルでそんなことをやっていると、大衆全体にエコーして結構とんでもないことになる。

コロナ禍は終わったと言っていいのかな。だったら、研究をしないとね。2019年までにあったデータと今のデータを比べるだけで研究ができるんだから、それこそ重要なテーマとして考えるべきだし、なぜに皆忘れるだけになってしまっているんだろうね。それは、きっとネットに依存し過ぎて、もう昔に戻るなんてあり得ないという思考になってしまっているからなのかもしれない。

その兆候を感じている人は、自分だけでも気を付けよう、と思ってくれたら、きっと身を助けると思う。