orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

この世の中適当過ぎるのだから、そんなに真面目に生きる必要もなく

 

この世の中のコンセプトは、ざっくり言って、下記のようなものだと思っている。

・正しいことを、法律や条例として、明文化する。
・法律や条例は守らなければいけない。
・法律や条例に書かれていなければ、基本的に何でもやっていい。
・法律や条例に書かれていても、見つからなければやっていないのと同じである(ただし見つかったら罪になる)。
・法律や条例に書かれていても、解釈が難しいギリギリのことはたいていやっても問題ない。本当に問題になるようだと後追いで解釈が追加され誰もできなくなる。

つまり、ロジカルに構築されているような世の中だが、それは大きな錯覚である。正しくあろうとするフリを皆しているだけで、実情はみんな自分のことしか考えていない。

だから、例えばコロナ禍の大混乱期は、適当にできた補助金制度を、混乱に乗じて一部の人々は騙して国から巻き上げようとしたけれど、結局1件1件確認されて罪にされてしまうというコントのような事象を見せつけられた。コロナ禍さえなければ補助金制度はなく、それを担いで悪いことをしようとする人も現れなかった。

人間が適当な性質だからこそ、社会が混乱すると途端に悪人が増える。それは悪人の顕在化であり、そもそも人々は悪である。

なのに、法律や条例を構築し、人々はきっちりしっかり誠実に生きている建前となっている。皆自分は正義だぞ、みたいな顔をしているのは、正直言ってちゃんちゃらおかしい。それは自分もだけれど。だから私は、自分のことを信用していないので、他人にお願いして自分を見てくれるように仕向けている。感覚として、誰かが見てくれているから、悪いこともできないと思う。人が見てくれている限りは自分は、ありたい自分であろうとする。しかし、本当に一人になってしまったら、どうだろうか、やっぱり悪い本質の自分が出てきてしまうような気がする。弱い前提で環境を整えないと、ね。

だからこそ、ニュースにはいつも悪い事件が日々流れてくるんだろうね。

悪い人がいるわけじゃなく、人はみんな悪いんだと考えると、結構世の中が見やすくなる。

これだけ、適当にできている世の中。つまり運営が適当だ。適当だからこそ、スキのようなものがあり、それをうまく利用すると得ができるようになっている。人はそれをマーケティングと呼んだり、私だけはその情報を知ってるぞとコンサルが大流行りする。売るもの自身の良さではなく、売り方の方ばかり人々が飛びついているのは良くないね。

いい加減な運営で成り立っているこの世の中に、真面目にまっすぐ対応する必要はない。もし、ありえないようなイベントが起こったら、受け止める必要はなく、さっさと逃げればいい。「そうじゃないといけない人生」などなく、逃げたとてまた新しい世界があり、また始められる。そうやってフラフラしているのが一番私はいい生き方だと思う。世界も社会も、適当にやっているのだからね。ふまじめで十分対応できる。