orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

くだらないものはやめてしまえばいい

 

振り返ると、自分から何かをやめる、ということはほとんどない私だが、細かい意思決定についてはものすごく速い。いろんな前例踏襲を、目にもとまらぬスピードでやめたり変えたりしている。きっと、他人から見ると、壊れた人に映るかもしれないなと思いつつ、いつのころからかそういうことを一切気にしなくなった。ロジカルに考えて、今やっているこのプロセスは時代遅れだ、やらなくていい、やるならこうした方がいい。そんな判断を人目を気にせずに行っていたらそのうち、「あの人のやることだからしょうがない」みたいな雰囲気となって今に至る。おそらく、売上や利益みたいな、会社にとって最も大事なパラメーターを握っているので、アンタッチャブルになっているのだろう、私の領域については。

だから、物事を続けているように見えて、細かい間にいくつもの「やめ」を繰り出しているので、全体としてやめるタイミングが訪れない。変わり続けていくものであると、適応力の鬼みたいな存在となり、続けるしかなくなる。やめる要素がないから。

この話は、私目線で語っているので、きっと私の周りの人間からしてみたら、いろいろ振り回されて大変だと思う。またやり方変えるの。この前言ったことと違うよね。そりゃそうである。世界は常に変化し続けているから、ちょっと前に行った未来予想は、今ではもう古ぼけている。日々、頭を使い続け、常にアップデートしているからこそ、続けることができる。そしてそのために、やめた方がいいものは即ぶった切る。はい、それ終わり。始まった時は機能してたと思うし始めたのも私だけど、今は意味ない。人間は、なぜかそういうことをありがたがって自分の仕事だと思い、何にも考えず後生大事に、丁寧になぞっていくのである。くだらない。

そのあわただしい意思決定についていけなくて、それこそ退職する人も過去いたけど、それも気にしない。この世界に居続けたいなら仕事観を変えてもらうしかない。くだらない慣習も嫌いだし、くだらないことにこだわりつづける人も嫌いだ。

どんな会社でも、仕組みが整えられてその通り仕事をすると、売上や利益が達成され、定期的に給料が振り込まれるようになっている。この文脈において、仕組みは時に神格化されるし、その仕組み自体に誤りがあったところで、従順になぞっていくのが我が使命みたいな認識の方もいらっしゃるのだろう。私は明確に否定する。今日機能した仕組みなんて明日通用するかはわからない。そして来年はきっとまた違う仕組みになっている。やめ続けることで、継続性が強化される。それが嫌だと言う人とは私は仕事が一緒にできない。何度か昔、揉めたことがあったような記憶もあるけど、そういうふうにしか生きられない私を許容する会社で働くと決めているし、そしてなぜだか長期勤続表彰なんかされっちゃったりして、社会ってなんだか不思議。