orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

直感がなぜ大事なのかを説明する

 

他人を説得するには、説明が必要だ。説明は論理的でなければいけない。もっと言えば、他人の理解力に合わせた柔軟な対応が必要だ。これをコミュニケーション能力と言う。人々はコミュニケーション力があれば社会は渡って行けると信じていて、興味の大部分が、人にいかに自分の意志を伝えるかという話題であるのは間違いない。人に評価されてなんぼ、という側面が社会にはある。

さて、それでは自分自身に対して説得するためにはどうするべきか、ということを考えたことはあるだろうか。異動、転職、引っ越し、趣味を始めたりやめたり、その他いろいろ、自分が自分の行動を決めるにあたって判断することがあるだろう。他人との調整と違って、自分のことである。自分がある意見に対して納得し、そのとおり行動するか、人々はどうやって決めているのだろうか。

他人に言い聞かせるように、自分に言い聞かせるのか。自分に対してコミュニケーション能力を用いて説得するというのは、変ではないか。自分と自分は物理的に会話はできないのだ。思うことしかできない。

自分を客観視したときに、自分がこれをやるべきかどうかという命題が現れたとする。おい、自分。これこれこういうことだから、やったほうがいいぞ。いやいや、それは誤りだ。そうやって自分で自分とディスカッションを始めるとしたら、それは「迷い」である。迷いがあっても人は最終的には自分の行動を自分で決めていく。その原動力はなんだろうか。少なくともコミュニケーション能力ではない、というのはわかる。決定に対して他人が介在しないのだから。

私の原動力は「直感」だ。あえて言語化せず、心の中でふさわしいと感じられる方を選ぶ。もっと言語化し論理を整えてから選ぶ人も多いだろうが私はそうしない。

なぜなら。迷っている間に時間は過ぎていき、最適解が変わってしまうことが多いからだ。迷っているときは、他人も迷っていることが多い。他人との勝ち負けの差が、速く手を出した方、という理由だけで決まってしまうことが、世の中やけに多い。

私は、選んでしまったあとに、後から言語化し理由付けすることが多い。直感は、何の根拠もなく発生しない。心の中のあらゆる情報を脳が計算して導くことについて、自分の言語的な理解が追いついていないだけのことが多い。だから、決めた後で、その結論に論理で追いつくのである。直感を言語化しておかないと、次第に自分の直感の信用ができなくなる。自分の直感は論理的であることを毎回振り返る。間違うことだってあるから、その時は直感も含めて反省する。直感だってPDCAは大切である。

私は他人に対しての対応は、論理的であることを絶対視している。論理的であれば他人はわかってくれて動いてくれると思っている。一方で、自分自身の行動理念が直感重視であることで、結構意外に思われる。周りには論理的であることを強いる一方で、自身は直感で決めていく。だから「なぜその選択を?」と言われたときに後から説明できるように、後で論理を付け足していくのが常である。

この直感重視、あてずっぽ、ではない。非言語的な情報、情緒、価値観などを含めた複雑な計算の結果と定義している。だから、直感を、わからないからランダムに選ぶという解釈だけはしないでほしい。やけに速い行動で他人と差をつけるための種明かしとなる。論理的に考えないと動けない他人にやたら先行できるのは、このおかげだと思っている。