嫌われてもいいから、好きなことをやろう。
嫌われてもいいから、自由にやってみよう。
そんなフレーズ、たまに聴くことがあるが、経験から言えばこの発想は危険だ。
他人に嫌われた場合には、自分が何かやろうとすると邪魔をしてくることがある。
それがとてつもなく邪魔になる。何か思いついて自由にやろうにも、嫌われた人が前にいると、回避することがとても面倒くさくなる。
だから、嫌われないに限る。
嫌われないと言ったって、万人に嫌われない方法はないのだが、良い考え方がある。自分と物理的に距離が近い人には、優先順位を上げて嫌われないほうがいい。
同じ会社で同じ組織にいる人。隣の人。部下、上司、同僚。
家族。配偶者、子ども、親。
近い人に嫌われると、どうやったって目に入るので、ネガティブなアクションを起こすようになりやすい。
遠い人ならば、あんまり気にする必要はないと思う。自分が自分の評判を見なければいいだけで回避できるのなら、ないのと同じだ。そもそも、距離が遠いと感情自体が減衰する。誰も、目につかない嫌いな人のことなど、脳の片隅にも残しておきたくないと思うだろう。
誰にも嫌われていいから、なんて言う言葉は誤った行動を誘発しやすい。少なくとも身の周りを刺激しないようにしながら、遠くの人は重要度を下げて、自由を行使したほうがいい。
その一方で「誰にでも好かれるように」というのはこれは、私は意味がないと思う。嫌われないのと、好かれるのは全然違う話だ。
人が、人に好かれるというのは、私はコントロールできることではないと思っている。相手の自由である。また、好かれるときは、自分が自由であるときの印象に対して、のほうがいいと思う。好かれるように振る舞った結果を好かれたら、ずっと振る舞わないといけない。それは逆に苦しいではないか。
どう生きるのがいいか。
できるだけ自由に生きた方がいい。
相手に好かれたいと思って行動なんてしなくていい。好かれる期待はしない。
一方で、特に身の回りには、嫌われるようなことはしないようにする。
もし、誤解で嫌われそうな時は、きちんと話をして和解する。
あまりにも、運悪く周りに、嫌った人が増えてしまった場合は、環境を変える。
でも、環境を変えるのにはリスクもあるしコストもかかる。できるだけ、負担はない方がいいから、やっぱり嫌われない努力はしたほうがいい。
あとは、もし好かれたら、感謝する。自分はコントロールしていないのに、好かれたのだから感謝しかない。だからといって、自分が何か努力するわけじゃないけど、悪いことは何一つないよね。好かれるって。
そんな人生観である。