ひょっとしたら、現代人は、感情を邪魔なものとして捉えているのかもしれません。デジタル技術を肝とした情報社会の中で、より再現性のあるロジックを重んじます。昨今のAIブームも、感情置き去りだと思いませんか。ChatGPTに感情がありますか。感情的なものを感じたとしたらそれは錯覚であり、仕組みとして実装されていませんし、それを無視しているからこその大規模言語モデルです。
会社に行っても、最近はアンガーマネジメントは非常に大切です。ちょっとでも怒りを仕事に籠めたら、たちまちパワハラのネタにされます。感情は表に出さず、発言はロジカルに。強い感情が発生しても、自分の中で処理して、人様に迷惑をかけないようにな、というのが現代の常識のようになっています。
また、仕事の中で悲しさ、辛さのような、弱弱しさを同僚や上司に見せたら、たちまち「あいつはメンタルが弱い」なんて言われることもあります。ほんと感情って、今は何の得にもなんないな、という感想。
感情を留めて、表に出さないメリットが強すぎる。
特に仕事をしていると最近そう思います。
一方で、「情熱」って言葉がありますよね。
情熱って、「感情」の「熱さ」だと思うんです。
あまりにも感情を悪者扱いしていたら、感情が冷めてしまうんじゃないか、って。
情熱のない仕事って、つまらなくないですか。仕事だけじゃなく趣味も。むしろ生きている事そのものって、情熱が理由になることが多いんじゃないか、と。
昨今の仕事って、やりがいや、楽しさみたいなものが大切だと言われている反面、感情表現を行うことはリスクがあるという、かみ合わない状態になっていると思います。
で、この矛盾した状態を解消するために、過去の人々は飲みに行ったらしいです。そこでどんちゃん騒ぎして、情熱を高めていたらしいです。
私は、過去もそんなことをしていないので知りませんが。
今の人たちはどうやって矛盾を解消しているんでしょうか。
あまりにも人々がストイック過ぎる。感情を出さないことを美徳にし過ぎている。これって、コロナ禍とマスク生活が影響している気もするんです。マスクすると相手に感情が伝わりにくいじゃないですか。それがいい、と言う人が増えたから、マスクを外さない人がたくさんいるんじゃないかと。
感情って大事だし、伝わって良いものもあるよな、と思って私はオフィスではもう個人の判断でマスクを外しています。できれば話し相手にも外して、感情表現を受け取りたいのですが、それができるようになるまでには少し時間は掛かりそうで、気長に待ちたいとは思っています。
自分の情熱、他人の情熱。きっとここ3年くらいの間で軽視されてしまったこのパラメーター、私はAIブームを横目に見つつ、人と人とのリアルコミュニケーションにおける感情の重要性について注目し始めています。きっと、ここから経済活動の中で勝っていく会社や組織は、情熱を鍵にしてくるはずです。
WBCを始め、スポーツ観戦の熱量が最近すごいじゃないですか。やっぱりみんな、情熱を取り戻したくてウズウズしているんですよ。情熱を想起するような経済活動が、きっとブームを引き起こし続けます。
オフィスでも、生活の中でも、人間らしい感情を取り戻していきましょうよ。