orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

常駐している協力会社社員の気持ち

 

昔のことなので、思い出して書くけれど。西暦2000年になる少し前のこと。

大きな大きな会社に、おそらくSESとして常駐した。入館証も与えられたし自分の席もあった。専用のパソコンも与えられたが、ものすごくスペックが低く、業務用のアプリケーションを開くのに時間がかかった。そもそもスリープ機能なんてなかったので、OSは毎度電源オンしOS起動から始まったが、それも時間がかかった。あらゆることで時間がかかった。一緒に来ていた先輩から「パソコンが遅いってことはそれだけ遅く仕事していいってことだから気にするな」と言われてなるほどなと思ったこともあった。昔の生産性の低さはその辺りから来ている。何しろパソコンはまだまだ性能が低かった。

技術的な問い合わせに回答する仕事だったけれど、なんとも残念なことに検証環境が不十分だった。聴かれたことを実機で試せないのは本当に困る。ただ、今と違ってコンピューター資源が豊富じゃなかった。パワフルなマシンはみんなで共有して使っていた。

検証チームみたいなところがあって、そこに検証方法をポストすると検証してくれるというワークフローだったのだが、検証チーム自体の性能が低かった。検証チームと会話しているより自分で検証環境を用意して確かめた方が48倍速いよと思って、その辺に転がっていた古いマシンをかき集めて検証するのが好きだった。

そもそも検証チームですら、別の協力会社だったので、あの大きな大きな会社で純粋な社員とおなじくらい協力会社-いわゆる外注社員-は多かった気がする。そのため、技術レベルもまちまちといったところだった。当時、体系立てて教育されていたわけでもなし。

そこにいた、大きな大きな会社の社員はキラキラしていた。ちゃんと教育も受けているので何でも知っていた。当時未経験から業界に飛び込んだ私は、何でも知っている年上の先輩たちの存在はありがたかった。いろいろ調べてわからん、となったときは質問したら何でも答えてくれた。また、調べてどうにかなるものじゃない案件は、引き取ってもくれた。優秀。超優秀。

もともと、大きな大きな会社だって、ビジネスの主役というか中心のようなものを、協力会社になど引き渡すつもりはない。社員を輝かせるために、誰でもできるようなことは積極的に協力会社に引き継ぐ。そして、高価値な仕事を社員にさせる。そもそも社員には高い給料を払っているのだから、高い仕事をしてもらわないと困る。

当時は、IT業界も今ほどの人気は決してなく、そして就職氷河期の環境で、「人なんて余りに余ってる」状態だったから、平均から優秀くらいの若手レンジを、安く集められた。だからアウトソースすることについてはどの大きな会社も積極的だったし、あのころに今の業界スキームの土台は作られたんだと思う。そして、コンピュータが本格的に企業に入り込むスタートの時期だったので人間は必要で、その流れのなかに、のほほんと私は乗っかったんだな、と今になって思う。

おそらく、協力会社とはいえ、私は環境がとてもいい方だった。若さが価値だったのかな。どんどん知識を吸収していくキャラが根付き、長い間お世話になった。今の仕事の基礎は大部分、あの場所で学んだ。

一方、このまま居続けてはいけないと思ったのが30になる前後のこと。「若手」というポジションは有効期限がある。有効期限が切れても仕事内容が変わらなかったら、それはいつ新しい若手にとって代わられるか変わらないということ。変化を求めて、インフラ運用の市場の現場に私は向かった。

他社に常駐する形だと、どんなに知識を得て、信頼を得ても、現場の社員以上の責任も権限も得られないのがわかるだろうか。私自身は、何回かの「協力会社社員」の経験を経て、30代半ばで元請側に行くことになる。

結局は、主役になれない、責任を持てない、と言うことに対する課題は、転職でしか解決できない。人を送り出している会社が、自分で責任を持つ事業を行うことって、かなり難しいこと。商売の根本から違うためだが、この辺りの差は今回は述べない。

同じITの世界にいても、立ち位置で大きな差があるということだ。私は、どちらにも意義があり、そして選ぶのは人だと思う。選んで満足しているのならそれでよいし、そうじゃないなら、立ち位置を主体的に変える努力をしないといけないと思う。