orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

自分の適性、案外見つけるのは難しい

 

自分自身に何が向いているか、適性、について客観的に把握できている人はどれくらいいるのだろうか。案外難しいのではないか、と思っている。というのも、自分が得意と思っていることは人はよくやる。そして苦手と思っていることはやらない。この、得意やら苦手やらの認知はどうやってできるのか。それは子ども時代からの経験則によるものが大きいのではないか。つまり、環境による影響をひどく受けやすい。教育環境があまり良くなかった人は、まずは機会すら制限される。やったこともないから、向いているとも限らない。その狭い視野で自分の適性を見つけようとするから、自分がいざ選択するときに、限られた答えを出そうとしてしまう。

教育環境が良い場合でも、人間の成長スピードは人それぞれで違うので、また誤解が生じる。私なんて、大人になれたのがここ最近という自覚もあり、それでもまだ大人になり切れていないと思いながら50代が近づく。困ったものだが、だからこそ最近になって、向いていることが見いだせたというのもある。自分の成長スピードが追い付いていない段階で、適性も何もあったものではないということだ。

先天的な適性(性格など)を横とすると、後天的な適性(成長による変化)を縦とできる。この横と縦の間で複雑に自分の適性ゾーンが変化していく状況で、「私は○○に向いている」についての相関性はなかなかに、「低い」と言えるんじゃないかと思う。

人間にはこういう、割り切れない話題に対して、素晴らしい機能が備わっていると思う。「直感」である。直感とはあてずっぽと言うことではないと思う。脳が、自分が思い出せないような細かい記憶も含めて分析し、答えを出してくれるのが直感だ。だから、こういうことはないだろうか。寝る前まで悩んでたことが、夜寝ているうちに夢の中であれやこれや考えていたようで、起きると抜本的な案が浮かぶということ。脳は、自分自身が意識しない部分にたくさんの計算機能を備えていると思う。

この直感部分の精度を上げるためにも、おそらくだけど、自分が向いている・向いていないに関係なく、いろんな体験をさせてあげることが重要だ。自分の多くのことを自分自身があまり理解していない。そう考えると、自分にいろいろやらせる必要がある。何が自分は喜ぶんだろう。興味を持つんだろう。もしくは、苦手と感じるんだろう。この自分と言う存在もどんどん時間とともに変わっていくので、長くお付き合いしていかないと、本当の適性を見出すのは難しいと言える。

この理屈で言うと、やっぱり「人間やったもん勝ち」というところに行きつく。だって、そもそも頭で考えるより直感で、心で考えたほうが正解を見出せるなら、いろいろやった方が情報を得られるからだ。

また、逆にいろいろやりだすと「やってみたけど苦手だったな」みたいなことも起こりえるので、やってみて、ダメだったらすぐ撤退。新しいものにすぐ挑戦、みたいな世話しない生き方が、今はいいんじゃないかな、と思う。それで、「アタリ」を引いたら勝ちじゃないか。