私はたくさんの人とコミュニケーションするのを得意だと思っていないが、人がコミュニケーションしているところを観察するのは、やろうと思っていなくてもやってしまう。ちょっと音に関して過敏過ぎるのかもしれないが。
おそらく若者言葉なのかもしれないけどちょっと気になっている言葉がある。
「え?!ちょっと待って!?・・」
と叫んでから、どうでもいいことを言う人がいるようだ。本人には、驚愕の事実なのかもしれないが、どうでもいい周りをも耳を貸してしまうから、少なくとも私はできれば辞めて欲しいと思っている。
ちなみに、本当に理解できないので、これを使う人の気持ちについてネットに聴いて見た。
実際に待ってほしいという意味ではなく、文頭にそれを入れることによって「私、ちょっと驚いてますよ」ということを念頭に置いてコメントを始めている、というニュアンスの言葉だと思います。
それと、それについて聞きたいことがあるから次の話題やコメントに行くのを「待ってね」という意味合いの場合もありますね。
どちらにしても「驚いている」というニュアンスは含まれた言い回しですね。
なんて親切な回答。
でも、誰かが驚いているということについて、そんなに他人が注目する理由はあるだろうか。むしろ驚いている自分について、他人に承認してほしいということか。
もしくは、人々の会話のテンポが速すぎるので、今から大事なことを言いたいので、「待って」ということと理解すればいいのか。
待たんけど・・。
というか、言いたいことがあるならまとまってから言えばいいし、そんな慌てているんだったら四の五の言わずに結論を言えばいいのに・・と。
私は、あんまり誰かと長々とおしゃべりするより、端的に言いたいことを伝えたいと思う方で、まとまってから言葉にするタイプなので、人に待たせる、というその心境自体の理解ができないのかもしれないなと思って見たり。
誰かに何かしてもらう、というのが多分、相当に遠慮に思っていてそれを自分の方から相手に対して使役する形、「待って」となるのが違和感ありありなんでしょう。人を待たせるのは迷惑だもんね普通。
そこまで思って「待って」というからには大事な用、発言なはずなのに、その後に続く話がとてもどうでもいいというか、発言者の中で完結している世界の話で、いや待たせんじゃないよと内心で思うこと間違いなし。
というか、不思議なのは、結構最近の人々って、注目を受けて目立つのが嫌で人に良く思われようとしていると聞いているのですが、この「待って」発言なんて真逆のことなんじゃないか、ということ。
それより、「待って」と呼びかけられた方へ自分が親し気に話しかけたことで相手と関わりが深いよということを周りにアピールする効果があり、発言者が陽キャに思われやすいんじゃないか、という計算が働くということなのか?。
・・・という、まあ理解できないことは理解できないまま放っておけばいいとは思う一方で、それを使う心理メカニズムのようなものは興味はある。
何となく社会の中で自分とは相いれないものが出現したときに、どうお付き合いしていいかについて悩むときはあったけど、まあもうかなりどうでもいい心境にはなっている40代後半。それでも知識は得ていたい。
まあそうだな、「え?!」ということで人をまず振り向かせ(記事のタイトルのようなもの)、「ちょっと待って!!」ということでさらに視線を固定させようとしている。いわゆるバズ文化から出てきた言い回しということで理解すればいいのかもしれないな。