orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

世の中には、学べる失敗と学べない失敗がある

 

よく、失敗から学べ、とは言うけど、実際に失敗してみると、こんなん学べないわと思った。今年に入ってから、何度か失敗と呼べるものを体験して、そしてそれが全部自分起因である。いろんな方向から、いろんな失敗をしてしまった。

失敗したら、反省して、二度とせぬと思うわけ。でも、二度、三度はある。時間をおいて。もしくは立て続けに。毎回、何をしてるんだろうと思うけど、だいたいうまく行っている時ってのは「運がいいだけ」という言葉に集約されると思う。そう、うまくいっているというのは自分起因ではなく、運の問題も十分に絡む。それを自覚しないから「過信」に行きそして「油断」となる。

たくさんの失敗をしたから痛みを感じることができ、人に優しくなれるというのはあるんだけど、でも痛いのはつらい。できれば痛くないほうがいい。痛みも強すぎれば立ち直れなくなる部類のものもある。

だからやっぱり、具体的に失敗した直後にこれを書くので思うことは、失敗をして学んで強くなるというのは時間が経って気持ちが落ち着いた後だからこその感想であって、しなくていいならこんなのしないほうがいいよなという感想しかない。

 

で、失敗とは何が引き起こすのかという話。

「ヒヤリとするけど、毎回避けられるので大丈夫だろう」

これに尽きる。私は、これに新年複数回やられた。毎回避けられるのに、10,000回は避けられるのに、10,001回目に失敗することってある。これはどんな仕組みなんだろうね。別に油断していた自覚もない。けど、突然やってくる。You were failed. え?、なんで?。

そして、10,000回成功できる時点で、かなり自信もついていると思う。これでいいや、と。こんなの失敗する人の気が知れんよ、と。

・・ところが、人間って、どこかで失敗率を持っている。0%をよく掘り下げると0.0001%だったりして、これが不運にもヒットするのが人生なんだと思う。

それを人は、油断してたからと簡単に言うけど、ちょっと感覚としては違和感はある。すごくいつも通り、しっかりやってる、集中してやってる、でも失敗はする。

だから、失敗の結果が致命的になるかもしれないような、リスクの高いトライについては「しないほうがいい」。気を付ける、ではなく、しない。

するとしても、失敗からできるだけ遠ざかる方向を考える。

「もし自分の気が一時的に狂ったとしても、失敗行動を採りえないような制度設計を、正常なうちに作っておく」

というのは大事だなと思う。

例えば、高齢者の運転免許返納なんていい判断だと思う。きっと、自分は失敗しないという過信・油断のある高齢者であっても、免許さえ返納してしまえば、致命的な失敗を犯す可能性は少ない。仮に高齢者は致命的な失敗をして、学べるのか。こういう失敗は、学べない失敗と呼べると思う。

 

失敗から学ぶ、というのは、リカバリーができるからこそ言える話であり、学べない失敗というのも世の中には存在するということだ。何でもやってみよう、は一見いい姿勢だけど、リスク管理だけはしっかりやっていこう。学べる失敗は管理し、学べない失敗は遠ざけて行かないといけない。