学生のときまでは、「試験」という明らかなマイルストーンがあって、そこで優劣が決められていました。試験の点数を良くするために学生は努力をしました。数字で結果が見えるため、それが良ければよい学校を目指すことができました。
ところが、社会に出てからは事情が違います。企業の中には昇進試験があるようですが、私の経験では、明確な試験はなく、人によって昇進したりしなかったり。試験が基準ではなく、会社の判断で推挙するパターンばかりでした。
結構、社会って、試験ではない理由で抜擢されることは多いんじゃないかと思います。全部に試験やコンペを設定していたらキリがありません。このポジションが必要だけれども、誰かいないか、えーい、彼にしよう。
このとき、何が基準になるのでしょうか。試験もないのになぜ決定できるのでしょうか。何らかの選考は必ずあります。ランダムに人を決めることなどあり得ません。
私がよく思うのは、いつも人は試されているのではないか、ということです。毎日、普通に仕事をしているだけでも、小さな仕事でも大きな仕事でも、全てが試験の要素なのではないかということです。
そして、全く自分が知らない場所で採点をされているのではないか。ただ、誰が採点しているのかも、採点基準も、点数も何もわからないのです。
そもそも、何を問われているかすらわからない。
だから、企業の人事評価なんて、あれは「後付け」ではないでしょうか。既に勝負はついていて、それを見える化するために数字を付けるのです。
学生の試験だと、準備して準備して、そして試験日にそれをアウトプットできるかを競いますよね。しかし会社の仕事は、毎日アウトプットできるかを問われ、そして知らない間に採点が終わり、そしてこともあろうかその結果を誰かが判断しているのです。
この仕組み、社会人生活が25年もあると、何だか怖いな、と思うのです。だって、一日一日が勝負ということではありませんか。毎日、受験みたいなものです。
「今日失敗しても、明日があるさ」
とは言いますが、実は今日失敗したら明日はないかもしれません。そんな大事な評価のタイミングが実は今日やってきている、という可能性もあります。
それを、毎日、同じ仕事の繰り返し・・のような気分で、だる~い感じで返していると、ふと気づいたときに手遅れになっていませんか。
いつか本気出す、と思っていて、いざ出したいときにはもう知らない間に誰かに判断されていて、出そうと思っても出せるポジションに就かせてもらえないということになりませんか。
つまり、このシステムだと「毎日本気出す」というのが答えじゃないか、と思います。毎日が勝負。ただ、長期戦になりますので、受験のような短期決戦の手法は心も体もお持ちません。必要なのは、結果が全て、を細かい仕事の単位で捉えることです。極論ですが、全て100点を出していれば負けません。そして誰かに勝とうと思うなら、どこかで120点だの200点だのを出さなければいけない。いわゆるサプライズです。どうせ、どこかの誰かが判断してるんだろうと思ったら、それを逆手に取ればいいのです。
そして、長らくやっていると、誰がどうやって裏で採点しているのかが読めるようになるので、あとは調整しながらピンポイントにアウトプットを出してやれば、不思議なことに過剰評価されます。それを利用すれば、いつでも本気を出していざというときに疲れてしまうようなこともなくなる、そう思います。
世の中不条理だよな‥と感じる人は、今回の話のような目に見えない部分の解像度が低いのではないかと思っています。いろいろ、水面下で仕組まれているのは間違いなく、だからこそいろんな知らない世界を学んでいくと得をします。裏だらけの世の中です。