orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

ネットは、普通の街になる

 

私が上京したのは18歳の時で、全くお金を持たない貧乏学生だった。お金がないなりに都会を楽しもうと街をぶらぶらした。だって、お金がないから歩くしかない。ふらふらと街をたくさん歩いたが、気づいた。お金がない人は何もできない。買い物はもちろん、エンターテイメント、サービス、お金がない人を拒絶するのが、リアル街の特徴だ。あれは、一度本当にお金がないときに街を歩いて見ないと感じることができない不自由さだ。

 

ネットの広告モデルが厳しいらしい。

 

bunshun.jp

YouTubeをつけるとCMが15秒間スキップできず、やっとスキップを押したと思ったら2本目が始まる。1日で最もイラっとする瞬間かもしれない。プレミアム登録をすればYouTubeの広告を避けられるが、最近ではNetflixが「広告付き月額790円プラン」を打ち出すなど、あらゆるところに広告が進出してきているようにさえ見える。

しかし実は、今起きているのは実は真逆のことである。Twitterを買収したイーロン・マスクの苛烈なリストラやメタ、Amazon、Googleの人員規模縮小の動きはすべて『無料でどうぞ、でも代わりにCMを見てくださいね』という広告モデルの破綻から始まっている。

私たちはこれからも広告を見せられ続けるのか、それとも月額の支払いが必要になるのか、それともお金を払った上で広告を見るという状況に追いやられるのだろうか……。

 

この記事は、インターネットはもはや広告による無料モデルが破たんを迎え、お金を払わないと楽しめないモデルに代わろうとしているということを説明してくれている記事である。

おっと、このブログもそうだ。無料でどうぞ。でもGoogleアドセンスの広告が表示される。まさにこの収益でこのブログは成り立っている。おそらくだが、いろいろ立ち行かなくなった中で、この形は残っている。文春オンラインだってアフィリエイト広告は健在でもある。

さて、この流れでたくさんの有名なサービスが有料化し、無料で楽しめるものがどんどん少なくなるとどうなるだろう。それは、私が学生の時に体験した「お金がない人は楽しめない街」と同様になる。キラキラしているくせに、入れない。この中で何が行われているかの知識はあるけれど、参加できない。

そして、参加できない人が大勢でる。日曜日の繁華街は人であふれかえるけれど、お金がなくてうろうろしている人も(昔の私と同じように)たくさんいるだろう。ネットは、そういう人たちに「広告を見てくれたらタダで見られるよ!」という世界だったのだが、今や廃れる方向にあるという。

その時に、実は、この私がやっているような無料で読めるブログが生き残る可能性を感じている。まぁ、それでも収益が細るようなら考えるけど、むしろこのブログだけが無料であれば、逆に来る人が増えるんじゃないか、と。逆に。

変な話、無料でサービスを配りますよ、みたいな企業が濫立しているのは、私にとっては「はた迷惑」であり、さっさとそんな儲からないことはやめていただき、まっとうに価値分の費用を徴収する商売をしてほしい。

その横で、しれっと無料ブログやってます。それぐらい個人が商業の真横でずる賢く生きられるほうが、かえって無料からいいコンテンツが出てきそうな気がする。昔はそんな流れあったよね。個人がネット発でバズるような現象。

付け入るスキのある時代って、夢がある。巨大な資本が、無料でどんどん市場を食いつくすのって、そりゃ続きませんよ、企業様。

ネットが普通の街になるのは、私は大歓迎だ。