orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

サッカーワールドカップに感じる違和感

 

私はワールドカップの日本戦、全試合拝聴したんだけど。

そもそも、ドーハの悲劇もテレビでリアルタイムで観戦していて、大いにガッカリしたぐらいなのでずっと昔から日本代表の試合はウォッチしていた方だけど。予選も結構見ていた方だし。

私はちょっとした違和感を感じていて、私の周り。家族も会社もnoteメンバーシップのメンバーも、みんな試合を見てない。ちゃんと試合を見た人と会ったことがない。

もしかしてこのブーム、作られている?。

このところメディアニュースの半分くらいが、ワールドカップでああだこうだという記事が見られるのだけど、一方でリアルで話せる人が誰もいない。

人々の趣味が多様化し、全国民が一緒になって関心を持てるコンテンツなんてなかなかないよ、とは言うが、もしかして、思ったほど浸透していないんじゃないかな。

「試合見た?」と聴くと、「いや、見てないんですよ」とみんな申し訳なさそうにするんだけど、別に堂々としていればいいと思う。ただし、メディアがワールドカップ一色になるってのは想定外。もし、あまり興味がない人がたくさんいるとすれば、ニュース邪魔だな、と思う人も多いのではなかろうか。

最近、テレビを見ない、と言う人も増えた。一人二人じゃない。30年前、私が大学生だったころにも「わたし、テレビ見ない」って同級生はいたけど、話をしてわかるのはかなりの変人だったということ。それぐらい昔は、人々が同質的だった。インターネットがなかったからね。テレビが無かったらどうやって情報を入手するのという時代。新聞でも読んでいたんだろうか。ラジオを聴いていた?。今でもよくわからない。

今は、インターネットがあれば情報は取れる。そしてその情報も、結構個人の特性が分析されて、その個人に合わせたニュースがカスタマイズされて表示されるようにはなっている。しかし、どうもその方法が古くなっているらしい。そんなやり方だと、特定の情報が流行らない。それよりお金持ちがたくさん広告会社にお金を払い、個人のパーソナライズ設定をぶち抜いて、全員に表示されるように強制的にしたニュース、みたいなものが増えていると思う。これは、広告の話じゃなく、ワールドカップのようなニュースレベルで、である。

きっと、ワールドカップに興味のない人も、ワールドカップのニュースにたくさん触れさせられているのではないだろうか。

そういった、作られる流行、みたいな勢力はテレビの方が強かったけど、インターネットにその方法論がなだれ込んでいるような気がしてならない。

インターネットって、そういう第三者の意志みたいなものが色濃く流れ込んでくると、拒否する人が増える傾向にある。何でこのニュース、この広告、好きでもないのにしつこく表示されるの、と。インターネットが「自分の志向に合わせてくれる」というのが壊れつつある、のかもしれない。

今回のワールドカップは、結構わかりやすく、この解釈が間違っていない可能性を感じる体験となった。試合そのものはとても楽しめたけれど、どうにも、こんなに報道が集中するほどは周りが熱くなっていない。