orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。1日2記事投稿しています(0:00、12:00)。

何も反論が起きない、ただ報告するだけの会議の意味

 

おそらく考え違いをしていた。

ここ半年くらい、オフィスにて行う対面のリアル会議参加がかなり増えた。在宅勤務でWeb会議中心の時期、また、組織的にある程度独立して自由にやっていた頃など、随分長い間やっていなかったのに、世界が変わった。

もともと会議自体はあまり個人的に好きじゃなくて、リアルタイムに調整して物事を決めて行けばいいじゃないか、なんて思想だったので、極力会議を避けていた。

それが、なぜ会議が増えたかというと。ここ最近目指すべき目標ができて、それについては周りに手伝ってもらわないと実現できないからというのが理由だ。だからオフィスにも通い出し、そして関係者と定期的に会議をして「こうしたいんだ」ということを直接伝える場の回数を増やした。

結構関係者には、「好きにやったらいいよ」と言われる。わかる。私が考えて考えて考えたその方法について、その対案より、どうすればそれが楽に実現してくれるかを考えてくれる関係者たち。会議をすると反論その他はたいてい出ない。理解してくれて、散会するのがいつもだ。

最近は私が開催する会議のほとんどそういう形になっている。

昔はこういう会議、ディスカッションにならないタイプの会議に巻き込まれることが嫌いだった。それなら、チャットで内容を展開したら、好きな時に読むよね、なぜ時間を取るんだい、なんて思ってた。

でも、こういう共有の場を積み重ねると、全然その後の結果は違うぞ、ということが最近良く分かった。

 

もう、みんな、私の意志はわかったよね。ここで反論が出ないということは、賛同したということだよね。そして、伝えたいと思った私の心も汲んでくれて、そして協力してくれる、そういうことだよね?。

 

ということに、Yesと参加者が答えていることに、なるのだ。

そして、参加者が共有してくれたことに私は感謝し、そして参加者は私に協力してくれるという契りを、小さな小さな契りを毎回結ぶのだ。

逆に、この会議に出ないと言うことは、共有する意思がないということを示す。賛同しないか、無関心だ。伝えたいという私の心をないがしろにし、非協力的だということを示す。

これは、大きな違いだよね。

何も反論が起きない、ただ報告するだけの会議。繰り返すということは、小さな契りを積み重ねているということになる。

会議とは、対となる意見を戦わせ、そしてよりよい結論を導くことだとばかり思っていた。でも、そうじゃなかった。私はあなたに伝える気持ちがあるんですよ~、というメッセージを送り受け取るという、大事な機能があった。

そして、それがリアル会議の方が強い効果がある。Web会議のほうは弱い。なぜかは知らんけど。やってみてわかった。実際に会って、そして会議やるだけで、積み重ねられる何かは存在した。飲みに行くとかそういうことじゃなくて、ただただ会議を重ねているだけなのに、心理的安全性のようなものが高まるのがわかる。

結局は、会議で相手が聴いてくれて、否定しないで受け止めてくれて、それで終わってくれるって、すごい機能があるってことだ。

私も、初めは資料を一生懸命作って、そして参加者に説明して、それであまりにもレスポンスもあまりないものだからこの報告、意味あるかなと思ったこともあったけど。それは考え違いだ。むしろ、わかりやすい資料をわざわざ作ってえらいな、なんて言われることもある。

自分が会議を開いて、そして参加者が来てくれて、聴いてくれることの意味。これを大事にすることで始めて、他人を巻き込んで物事を達成していくことができるのかもしれないな、なんて、最近、実感している。