orangeitems’s diary

クラウド専任の40代インフラエンジニアが書くブログ。新規事業マネージャー。20世紀末の就職氷河期スタート時にIT業界に文系未経験で入りこみそのまま生き残った人。

専門領域を勉強することに飽きた後の考え方

 

社会人も長く長くやってると、ああ、もうこの分野については概ね把握したかな、という感覚を感じることがある。二十代のころは何を勉強しても仕事にすぐに役に立つ感じだった。だからこそ俊敏に勉強したし、吸収もした。しかし、年齢を重ねていくと、そんな素敵な勉強領域との出会いは少なくなる。ほとんどはもう知っていて、あとは変わった部分をおさえていくことが中心となる。

どんどんアップデートされていくと言っても、便利になることがほとんどだから、これまでの仕組みが簡便になるだけであり、勉強など少しで済むのである。なぜそうなるか、みたいな話が勉強の大部分なので、どうやってやるか、については都度知って行けばいい。

変わった内容も、どこぞの大企業がトレンドの技術を買い取って、後からくっつけましたみたいなものが多い。だから全体としてちぐはぐでもあり、あまり使われないで朽ちていく機能もある。将来のバージョンでは削除します、みたいな話もよく聞く。結局のところ、進化とは、選択と切り捨てで、ずいぶん、以前は常識だったことが無くなっていく。

こういう心境に至った後に、さあ勉強しようと言っても、なかなかモチベーションは上がらない。その時にやればいいでしょ、どうせ勉強しても使うことないよ、と。そうやって中高年のモチベーションは失われていく。勉強しないことの副作用は、イノベーションしないことにつながる。変わらないほうが楽だから。成功体験の記憶が積み重なり、何をそんなに変える必要があるの。今までも改善してきて今の形になっているんだから。そんな内心を見透かされて、会社から中高年を追い出す発想が生まれていると私は思う。

この対応として昨今感じているのが、「全く畑が違う分野の勉強」のこと。ただし、勉強が好きな人はどれだけいるのか・・、私も好き好んで勉強するタイプでもなかった。ただ、新しいことを知りのめり込み、何か身に着けていくという体験自体は好きだ。そこで発生するエネルギーのおかげで、IT業界の初期はやたらに知識を身に着けて行った記憶だ。

つまり、年齢を経るに従い、どんどん遊んだ方がいいんじゃないか、ということだ。今までを振り返ってきて欲しい。今まで時間やお金がなくてあきらめてきたことはなかったか。当時流行していたけれど手を付けられなくて、そのまま時間が過ぎてしまったことはなかったか。流行っているときは、何か面白いことがあるとメディアが大騒ぎしてくれるけど、1年、5年と経っていくとその喧噪も無くなっていく。それは、自分自身で掘り起こさないといけないのではないか。

今ならできること、たくさんある。

手を付けないまま、もっと時が過ぎていくと考えて欲しい。二度と手に入らない、体験できないかもしれないのだ。それはもったいなくないか。仕事に役に立つかどうかすらわからない仕事の領域を今から義務感に駆られて勉強するより、自分が童心に戻れるような、そして過去称賛され自分はわざと見逃した創作物で、視野を広げる方がよっぽどいいのではないか。知ったかぶりになっている、いろんなことが、たくさんないか?(ある)。

今になって大学を思い出すと、全期間の半分に教養科目があった。おそらく教育とは、半分が専門で、半分はその他全部なのではないか。であれば、専門をしっかりやったなら、次は教養・・いや、その他全部こそ成長の鍵じゃないかと思う。

そう考えると、遊べ、ってことになる。だから、遊ぶことってなんだろう、なんて思索を重ねているところだ。間違いない、まだまだ世の中には学べることが、たくさんたくさんある。