orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

人はなぜ教えるのか

 

人が、何か知識を第三者に教えているのを見ながら、なんでそんな貴重な情報を、無償で誰かに伝えるのかな、って思うことがある。その知識、人に伝えちゃったら知識だけ奪われちゃうんじゃないのって。

でもよく聞いてると、ほぼほぼ核心の部分は触れない。私と絡むとこんなにいいことがありますよ、と。私はあなたとコネクションが欲しいのであって、ちゃんとお付き合いするのなら、お金を発生させてビジネスしましょうね、そんなものばっかりだ。

よく「パワポ資料」とは言うが、パワーポイントはプレゼンテーションのためのものだ。プレゼンテーションとは、何か第三者に訴えたいことがあって使うものだ。訴えたいことであって、知識を教えるということではない。教えてたまるものか。知りたいならお金ちょうだいね、というのは人間の根源的な欲求だと私は思う。

そして、世の中にこれだけプレゼンテーションがあふれているのだけど、それをたくさん見て知識をつけようと思っているのなら大きな誤りだ。一見そういう資料に見えるんだけど、そうじゃない。いくら読み込んでも、営業トークしかできるようにならない。人は、無償では教えない。

まず、本当に知りたいと思うなら、パワポ資料を見ないこと。知識は基本的には言語で書かれている。言語の積み重なりはプレゼンテーションではなく、文書である。自然言語である。

最近は、動画でいろんなことを説明してくれている。動画についてもこのプレゼンテーションに分類される種類のコンテンツが激増していると思う。本当に「教えている」というコンテンツも過去はあったけれど、誰も気づいている。教えたことに対して対価が伴わないことを。広告料に見合わない。だからみんな止めてしまう。

会社の中にいて、誰かに知識を伝えて、という場面にベテランになると遭遇するのだが、これまでの記憶をたどると、私もちゃんと核心まで教えたことはない。そんな無償の愛、みたいな話ってある?。色んな会社の社長を見ていると、二代目、三代目社長って多いよね。やっぱり、教えるっていうのは、利害が絡む。何の交換もなく、はいはいって教えてあげるのは、強奪されるのと何ら変わりがないような気がする。

いやいや、仕事なんだから部下にちゃんと教えなさいよ、とは言うけど、ちゃんと受け取る側が知識を吸収するかって、受け取る側の主体性や能力も必要だし、どちらかと言えば、どういう方向に進むかだけリードしてあげている。そんなに知りたいなら、ちゃんと自分でお金出したほうがいいよ、って。本とかたくさん売ってるじゃないと。教えたところで私にお金がまわってくるわけじゃないけど、どうやって自分が知っていったかくらいは共有しようか、という具合。

学校みたいにね、カリキュラムがあってコンテンツがあって、そして生徒が学校にお金を払って「教わる」がシステマティックに構成されていれば納得感はある。でも、タダで教えるかってそんなことないでしょ。いっぱいね、パワポや動画が世間にあふれまくってて、あたかも「無料でわかるXX」ばかりに見えるけどさ、みんな核心に触れてないよ。ちょい見せして、自分に絡んでね(有料で)、ってものばかり。そんなものばかりたくさん見て、何かわかったつもりになっている人がたくさん増えているような気がしてならない。それって時間の浪費なんじゃないか。

なぜ教えるのか、それは対価を支払うからだよ。もし対価がないならそれなりのものしか得られない。河原の石を積み上げても、家にはならない。核心を知りたいなら、お金を使おう。