orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

「がんばれば評価してもらえる」という幻想

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私自身長いこと、自分を評価されることも、誰かを評価することも経験してきています。人が人を評価するというのは本当に難しいことだと思います。ゲームのようにポイントが客観的に貯まっていくとわかりやすいのですが、そんなわかりやすい目安などありません。

どの組織も評価制度がありますよね。ただ、多くの人が評価制度自身に失望しています。一番失望する機会は、特に若いときに、アピールすべく全ての自己評価に高い点数を付けたら、上司から中間に近い点を付けられ、なぜ高い点数を付けるか一つ一つ根拠を尋ねられ、それを言葉化できず結局、上司の点数に上書きされる。そんな経験を人は一度でもすると、次からは中間の数字ばかりを入れるようになります。何となく高い点数を付けとけば上司も釣られるだろう、と思ったら当てが外れた、という人から離脱していきます。

私が評価者の立場でも部下に高い点数を付けるとき、あまり部下は同様の高い点数を付けてこないのですね。なぜ高い点数を付けないのかをきいてもはっきりとは答えず、どうもこの上司とギャップがあるときに主張することに、たくさんの人が抵抗を覚えているように思います。

いや、やっぱり、自分は会社に貢献したんだ、というならば高い点数を書いたうえできちんと説明し、ちゃんとアピールしてもらいたいですね。逆にそれが上司がそう思っていなかったら、上司がきちんと仕事ぶりを見ていなかったかもしれない。もしくは、実は空回りしていて全然組織に貢献できていないかもしれない。評価制度というのは、そういう会社からの評価と自己評価をすり合わせし、個人がその評価を許容できるかを測る場だと思っています。

だって、明らかに結果も出しているのに、会社が認めてくれなかったらその会社に長居する意味はないでしょう。不満があるなら不満があるとその場で言うためには、まず自己評価を自分自身で明確に説明できるように備えておく必要があります。

ただ一方で、結局は評価制度なんて、上司がその部下の責任を上げたいときに後付けで評価を高くするための道具とも思っています。あの部署のあのポスト、君にやってもらいたいから、評価を上げておこう、みたいな話です。

中小企業で会社が成長していないとして、社員が退職もせず、社員数も増やさないのなら、組織が硬直化します。その状況では新事業でも立ち上げない限りはポストも生まれないので、いくら評価制度を作ったところで機能せず、いくらがんばっても評価は上がらない、となるわけですね。

結論として、評価制度があれば人はがんばると評価をもらえる、というのは嘘八百です。評価制度が生きるためには、その企業が成長し人材が流動化、つまり時間とともにポストが生まれ、その責任を負うために高い評価を受ける社員が必要、だから高い評価を与える、そんな順番が必ず必要です。

一生懸命評価制度にはもっともらしい文がたくさん並び、それらを読み解きその内容に則してがんばって仕事すれば評価がもらえる、そう思っている人も多い事でしょう。でも、正直、そうじゃないです。昇進の理由の後付けに使われるための評価制度であることがほとんどのケースに思います。

また、もう一つ評価制度の使い方があるとすれば、高い評価を自己評価でつけ、そして定量的に説明ができ、上司にこれを突きつけたときにどう会社が処理をするか、会社の体質を測ることができることです。より高い評価を付けるということは、もっと自分に高度な仕事をやらせてほしいと言うアピールをすることになります。今の仕事は自分の能力に対してレベルが低い、もっとできるぞ、と。それをもみ消すような会社ならば、見切りをつけるべきです。

学校ならば、がんばったらテストの点数に反映され、自動的に成績も上がります。ただ社会人の仕事って、そんな客観的な物差しがありません。だから多分に、がんばれば、なんていう情緒的な言葉じゃ、評価との相関関係は薄いです。がんばらなくてもいいので、どう高い評価を得るための材料を定量的に揃えるか。そしてそれを常に、どうやって上司に常日頃見えるようにするか。最終的に評価される際に、それを日本語でわかりやすく表現できるか。

なかなか会社の中で評価を受けていくというのは、奥が深いものです。より具体的に自分の成果を把握しつつ、どう伝わるように表現していくか、これが仕事の本質のような気がしてなりません。だって、仕事は評価されなきゃつまらないですからね。