orangeitems’s diary

クラウドで働くインフラエンジニアの日々の感想です(ほぼ毎日更新)。

統治されていなかったころのインターネット

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私がインターネットを本格的に使いだしたのは1996年だったけれど、そこから2000年までの体験は恐らく宝物だと思う。

特に初期のインターネットは、ある程度ITリテラシーが高い、いわゆるパソコン愛好者しかいなかった。コミュニティーもとても小さなものだったから、自分たちのスペースであるという思いが強く、参加者による自治で成り立っていたと言える。

あの頃は、ホームページ、掲示板、チャットぐらいしかやることがなかったが、特にチャットルームをよく使っていた時期があった。

いきなり知らない人同士が集まってチャットするのだけど、今現在は子供から老人までさまざまな人が集まっているので会話は成り立たない。でもあの頃は、同好の人たちという感覚が強く、結構日々、楽しい会話が積み上がっていたように記憶している。

ところが、だんだんとおかしくなっていった。「荒らし」と呼ばれる人が登場し、いきなりチャットルームに入って意味不明な文字列を垂れ流すようになっていった。一度や二度ではない。そういうことが繰り返されていって、だんだんと殺伐とした雰囲気になって廃れるということを経験した。

2ちゃんねるもそのころの産物だけど、掲示板にも反社会的な書き込みがあり社会問題化し始めていった。いわゆる「野放し」で、警察もインターネットなんて何のことやらという時代は本当にあった。しかし、現実にインターネットを起因とした事件や事故が連発し始めこれではいけない、ということになった。

おそらくその頃から長い間、担当者があやしいサイトを循環し危険な書き込みを見つけていく仕事があったのではないかと思う。今は自動化されたり、外部業者に委託してクロールしてもらうようにもなっていることだろう。

話は戻り1996年、何やらわからないものに人が集まり始め、皆それぞれ自由に発言したり、Webサイトを作ったり、フリーウェアを発表していたりした。そのバランスが成り立っている間はとても刺激的で楽しい空間だった。いつの間にかそこに軋轢が持ち込まれ、人の悪意が混在するようになった。攻撃や詐欺などが入り込み、油断ならない場所になっていくというこの一連の流れ。

おそらく、人間社会をサイバー空間にシミュレートすれば、そのまま人間社会の悪いところまで実現してしまうし、実際そうなった。悪意に対しては統治が必要になった。今、あらゆるメディアで、何か危険な行為をしようものなら、いろんな手で検知し、やりこまれるようになっている。それはもう、初期のインターネットとはかけ離れた世界である。

当初はコミュニティーだった。大きくなるとソーシャルになる。大きくなるためにはガバナンス(統治)が必要になる。コミュニティーにはコミュニティーの良さがある。そして大きくなったものにも魅力がある。きっと人間からインターネットを取り上げるのはもう無理だ、電力やガス、水道のように。

日本に中小企業が多いのもきっとそういう理由だと思う。中小企業はコミュニティーなのだ。自治が機能する。参加者の善意と信頼関係で心地よい空間を作ることができる。大企業はガバナンス(統治)が重要になる。ガバナンスが崩れた大企業が過去、会社ごとバラバラになった例もある。大企業が優れている理由はガバナンスそのものにある。逆に言えばそこが崩れた企業はひどくもろい。そして、中小企業がわざと大きくならず、中小企業のままでいたいと考える理由もそこにある。

あのころのインターネットのようなものが、またどこかに現れないか。SNSとはまた違う。SNSはあたかもコミュニティーの形をしているが、結構神経質に扱わないと、悪意が漏れだす感想がある。誰とでもつながれるというのはもろ刃の剣だと思う。

日々、周りの人々を大事にしていくしかないか、なんて考える。