orangeitems’s diary

40代ITエンジニアが毎日何か書くブログ

仕事における「満足」と「不安」

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仕事をしながら思ったこと。

満足ってなんだろう。

不安ってなんだろう。

仕事の目的を満足することに置くことは多いし、不安が行動のトリガーにもなる。

しかし、満足なときに、人は何を思うのだろう。

しかし、不安な時に、人は何を思うのだろう。

 

満足なとき

満足しているときは、たいてい何かを忘れている。

すべて足りていて満ちている、ということは自然の摂理として、奇跡のような確率でしか起きないと思う。どこかに穴がある。水漏れはしている。ただ微量なだけで気づかないだけである。どこかに吹き溜まりができていてある日突然決壊するかもしれない。

だから、満足したと思った瞬間があれば、それは錯覚だと思うようにしている。ある意味、満足だからこそ不安になる。この満足な時間はどれぐらい続くのか。継続性はあるのか。期間限定ではないか、だとすればいつまでこの状態が続くのか。

満足した瞬間にすることは、これを一度否定し、隅から隅まで洗ってみるのだ。どこかに不安のカケラがあるはずだ。1つ見つけたらとりあえず取り組む。そうしているうちにほころびは必ず見つかり、それに取り組んでいるうちに別の物が見えていく。

こうやって、満足な状態は「ある種のフラグだ」という警戒心が、物事を長く続かせていくためには必要だと思う。

リスクに立ち向かうのは当たり前だ。むしろリスクがないと思っている状態こそが、もっともリスクに向かって一直線なのだと思う。無知は怖い。知らないことと、起きていないことは全く違う。目を背けて満足している状態になってはいけない。

 

 

不安なとき

不安なときは、どうにかして安心な状態になろうとする。

仕事の時間じゃないのに仕事で不安なことは心によぎる。ITの仕事をしているからというのはある。コンピューターは人間と違って休まないから、いつ何が起こるかはわからない。休日夜間も関係ない。

だからこそ不安には敏感で、少しでも気になることがあれば放っておかない。そして不安を忘れないように記録する。不安がゼロになることを目標に、全てまんべんなく対応する。

しかし、すぐ対応できることばかりではない。どっちに転ぶかわからないものや、まだ解決方法が明確になっていないこともある。

不安は嫌なので、頭は回り続ける。

でも、これだと人間は、不安から24時間離れられないではないか。心がつらくなる可能性はある。不安に追われている感覚が抜けないとおかしくなってしまう。

一つは、強い不安があるのであればとにかく休むのも置いておいて、がむしゃらに解決まで働くというのは手だ。私は勝手にこの仕事の仕方を「パワープレー」と呼んでいる。時間は一日24時間あるという前提でエンドレスに解決に突き進む。

パワープレーは一年に一度やるかやらないかくらいだが、たまにやる。若い時は寝れば回復したものだが、最近は数日体調が戻らないので体に負担は大きい。パワープレー中は集中力も高まるが消耗もはげしい。特に終わった時に、ガタっとくるのでほどほどにしたいものだといつも思う。

ただ、そこまで緊急性の高くないものにまでパワープレーを用いることはできない。時間も有限だし法律も許さない。そして健康の点から言ってもほどほどにしなければいけない。

だから、不安があっても、そっと寝かせておくスキルも必要になってくる。

不安があることは理解した。ただ解決は優先度の高い物から行うこととし、焦らない。不安だけど不安のまま置いておかねばならないときがある。

 

 

満足と不安のあいだで

個人的な体験から言って、満足していると自分が思っているときはたいてい「つかのまの油断」だったことが多い。

だから、満足とは、何か見逃しているというサインなんだと、いつも思う。いっときは喜んでもいいが、その後には底知れぬ不安がよぎる。

具体的に不安があるときはその解決に積極的に取り組むが、すぐには解決できない不安なんてたくさんある。せっかく見つけた不安はちゃんと記録しておいて、あとはスケジュールを立てて取り組む。

そして、不安を忘れるときも必要だ。休日、定時後、深夜。仕事以外の時間には、不安とできるだけ離れたほうがいい。これができないと、人の心は病みだす。

満足と不安は対義しているように見えるが、結局は満足とは蜃気楼だ。目の前に不安が無くなってせいせいした一時的な感情であり、もしそれが長い間続くとすれば、不安と向き合っていないだけのように見える。不安とは現実で、満足とは幻想だ。

しかし、不安と向き合いすぎると不健康になる。逃げたり撤退したり、保留したりするのも、正しいと思う。それぐらい適当でないと、長いこと安定して仕事などできない。

仕事とは、ずっと不安は尽きないことを、いかに「満足っぽく」するかどうかということなのかもしれない。それぐらい、ちゃらんぽらんに考えないと身が持たないと思うことはよく、ある。